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2012年1月2日月曜日

何かを変えるということ

新しい年になりました。はたして今年が変化の年になるのかどうか。いまだ事故が収束しない中で新年を迎えた私たちが、これから原発をどうしていくのかという大きなテーマを前にして、自分たちが変われるのかどうかを問われています。そして、その結果は未来の人たちによってジャッジされることになるでしょう。

今まで原発に依存してきた社会構造の中で、その利害関係者が多いのはあたりまえで、変化を望まない人のほうが多数派を占めるのは、今までの社会の構造を前提として生活を組み立ててきている人たちによって社会が成り立っているので自明のことです。

そうはいっても、こと原発については、多数派がやるべきといっているからやるという類の問題ではなく、今回の事故によって、事故の際に(仮に事故がなくてもですが)払わなければならない犠牲が、自分たちで責任を取れる範囲をはるかに超えて途方もなく大きいのだということを身をもって知ったわけですから、これは、誰かがいいと思うとか悪いと思うとかご意見募集とか多数決で決めようとかそういうレベルのことではなく、自分たちで責任の取れないことはそもそもやるべきではないと思います。というか、やるべきではないのにやってしまった。結果、とんでもないことになってしまった。だからせめて、今からでもやめるべきだと思います。

起きてしまったことはもう元には戻せない。でも、次の事故はなんとか防がなければなりません。そして、原発がある限り、次の事故の可能性をゼロにすることは不可能です。それが私たちが生きている間に起きるかどうかはまた別の話です。やめなければ、いつかはまた起きる。その「いつか」に、私たちは去年、あたったわけです。

原発も機械です。家電メーカーが原発をつくっていることを見ても、家電と原発は、たいして変わらないものなのだということがわかります。そして、家電メーカーのアフターサービスで働いたことがある私の経験からいいますと、機械は、それはもう、確実に壊れます。そして、それが「いつ」なのかは、誰にもわからない。同じラインで、同じ時期につくられた同じ構造の機械でも、壊れるときは買った直後でも壊れるし、壊れないものは20年後でも壊れない。壊れない機械にあたるのは、ただの偶然みたいです。壊れない家電すら発明できない私たちが、壊れない原発なんて、それはありえません。

原発もまた、いつかはまたなんらかの原因で壊れるでしょうし、その時に、手の施しようもないことが今回、よくよくわかったわけですから、これはやっぱり、そういう危ないものを身近に置いて生活しなければ成り立たないような社会そのものを変えないと、落ち着いて生活もできないし未来の予定も立てられない。子どもだって安心して育てられません。つまり、今、私たちは、社会を変えなければいけない節目の時代に立っているのだと思います。

では、具体的にはどうすれば変化は起きるのでしょうか。

思うに、その変化というのは、けっこう地味な積み重ねで起きてくるものなのではないかと思います。

「強固に利害関係や習慣で身動きならないまでに硬直していた何かが確実に変わる」プロセスを見せてもらったことがあるのですが、それは、最初は「え、こんなことして何になるの?」というくらいの地味なことから始まり、その根気強い繰り返しによって積み重ねられて、2年くらい経ったら、あれ??っというような結果に結びつきました。私は、へええ、変化というのは、こういうふうに起きるものなのか、ということを学び、以来、何かを変えたいと思うときには、その人のやり方を真似ることにしています。

そのプロセスを実行したのは昔の上司で、その方は、ある事情で疲弊して慢性的な高コストになっていたとある小さな部署を立て直すべく(つまりリストラです)海外の本社から日本の法人に送り込まれて、私はその人の秘書兼通訳として2年ほどご一緒させていただきました。

言葉もわからない、文化も違う、もちろん文字も読めない日本にいきなり送り込まれて、コストを下げるというミッションを達成しなければならない。部下も協力的とはいえないし警戒している、本社からはなんとかしろと催促がくる。その中で、アシストにつけられたのはその専門分野には未経験な通訳が一人だけ。ほぼ、孤立無援です。

最初は、え、こんなちまちましたことやって、月に数千万のコストを削るなんてバランス的にどうなんですか、と疑問に思うような、本当に数千円のエビデンスを求める、といったようなことから、それらは始まりました。もちろん、人員削減もやらなければならなかった。でも、そういった大きなコスト削減よりも、むしろ、エビデンスをつけるとか、たとえ顧客のいうことでも正しくないことには折れない、でもそれもほどほどで100パーセントを求めないとか、非情にならなければならない場面では容赦しないが相手の人格は否定しないとか、協力してくれたら必ず応えるとか。そういった当たり前のことを当たり前にやる習慣やバランスを、部署内にも関係企業にも一貫して求めていったことによって、2年くらい後には、見事に数千万のコスト削減に成功し、その上司は本国に帰っていきました。私は、仕事の仕方だけではなく、物事や環境をとらえるときのやりかたを、この方に教わりました。

何かを変えたいというテーマを目の前にしているとき、劇的に変わるような方法というのはおそらくないのだと思います。ショートカットがあったら、それはもう、使えるものなら誰だって使いたい。でも、そんな道はたぶん、ないのです。それに、よくよく考えたら、むしろ、あったら危ないです。だって、そんなに簡単に変わるものは、誰だってまたぱっと杖を振るように変えられるわけですし、それがよい方向に変わるなんて、何の保証もないのですから。

脱原発には、時間がかかると思います。今、動いているのは6機ですが、再稼動の動きもまたあることでしょう。それは、社会が、長い長い時間をかけて、それを前提にした社会に育てられてきたわけですから、そういう動きがあるのは当然です。それも含めて変えていく。ショートカットはないかもしれませんが、少しずつ変えていけば、チリも積もれば山。数年後に振り返ったとき、「ああ、あのときのあんな小さなことが、ここにたどり着いたのか。」と思えるかもしれません。原発も、最初の一機からはじまって、全国に54機建てられるにいたったわけです。それをひとつずつ、時間をかけて元に戻していく。同じくらいの時間か、あるいはもっと時間ががかかるかもしれません。それでも、そういう社会をつくってきてしまった私たちが、自分たちの手で、それを元に戻していく。それが、脱原発するということだと、私は思いますし、私たちの責任だと思います。

今年が脱原発元年になりますように。そして、50年後に(そのとき私はたぶんもうこの世にはいませんが)、脱原発が必要なくなる日がきていることを祈っています。