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2011年4月16日土曜日

グリーフワークにどう関わるか 

  多くの方が家族や身近な人を亡くされたことに心よりお悔やみを申し上げます。
避難所や地域に、お身内を亡くされた方がいらっしゃったときに、どう接したらいいのかわからないというボランティアの方も多いのではないか。私ごときがいうことではないが、この非常時なので勘弁していただき、個人的に感じていることを率直に書こうと思う。

  まず、グリーフワーク(死の悲嘆からの立ち直り作業)は本人しかできないので、求められるまで押しつけないでほしいということ。周囲の人間が、求められも しないのに手出し口出しをするべきことがらではなく、サポートが必要な場合は、本人がその時期と種類を選ぶ権利がある。主導権は本人にあるべきであって、 周囲にはない。

  話しを聴いてあげたい、少しでも気持ちが楽になるようにしてあげたいと思う気持ちは人として自然な感情の動きだと思う し、もちろん、相手が語ったら静かに聴けばよいと思うが、安易な慰めやアドバイス、理由づけ、とくに、誰かと比較して何に比べればどうだとか、余計な相槌 は不要だと思う。そういうことを言いたくなるのは、だいたい、相手のためというよりも、自分の気持ちを落ち着かせたいためだ。相手の悲嘆を前にして、それ を黙って現実のものとして受け入れることができないがために、なんとか相手の悲嘆を打ち消そうとする。しかし、身近なものを亡くして悲嘆があるのは当然の ことだ。そして、それはどんな理屈をつけられたからといって解消されるようなものではない。

  また、なにがあったのか、など、とくに子どもに素人が根掘り葉掘り訊くことは危ない行為だと思う。身近な人の死などの喪失体験の共有は、専門的な技術と経験、あるいは素人レベルならそれにふさわし い信頼関係があって、はじめてできうる。記憶に蓋をする権利も、当人にはある。無理やりこじ開けるべきではない。

  「メンタリスト」とい う海外ドラマで、不眠症の主人公に、睡眠薬の処方を求められた精神科医が、眠れない理由となった記憶を語らせようとするシーンがある。実は、主人公は過去 に犯罪被害によって妻子を失っているのだが、それは語ろうとせず、つくり話の記憶を語る。なぜあなたの物語を語りたくないのだと訊く精神科医に、主人公が 答える。「それは、私のものだから。」

  シェアをする行為は、あくまで本人がシェアをしたい場合にのみ成り立つ。誰かの、その人だけの物語を、無理やり奪ってはならない。

  
(2011年3月21日http://m-net.jugem.jp/に投稿分をこちらに移動しました。)

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