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2011年8月7日日曜日

よりよい食べ物をめぐる葛藤

秋の収穫シーズンが近づきました。

3.11の地震に引き続く原発事故の後、一時期、食料が一部、確保困難な時期があり、その後も、スーパーに行くたびに、ここに並んでいるものを、誰かと奪い合わなければならない恐怖が頭から離れず、買物にいくとよく、棚にものがなくなった風景を想像してしたりして暗澹たる気持ちになっていました。

その気持ちのなかには、たんに食料が入手しづらくなるのが怖いという以外に、なにかもっと奥底にある恐怖感があるようです。それがどこからきているのか、自分でもよくわからなかったのですが、その感覚を獲得した瞬間というか、ルーツが、先日、わかりました。

百貨店の食料品売り場で清涼飲料コーナーで海外ブランドの100%ジュースの瓶を見たとたんに、30年前のある日の記憶がフラッシュバックしたのです。

当時、音楽学生としてオーストリアのウィーンに留学中だった私は、当時まだ東西で別れていた旧東ドイツのライプツィヒで音楽コンクールがあったので、参加者として出かけていきました。

30年前の東と西の格差は大きく、経済的にも段違いで、シェパードを従えて機関銃を持った警備兵で厳重に警戒されている国境を越えて東ドイツに移動すると、そこは、食べ物も違う、空気も違う(排気ガスの規制などが違ったのだと思います)、売られているものも違う(そもそも食料があまり売られていない慢性的な物不足の)、別世界でした。

野菜なども乏しくて、一週間くらいいただけで、飢餓感がつのってきます。食べ物の量は足りていても栄養が偏っていたせいだと思います。果物とか、野菜とか、そういうものが恋しくなりました。
それで、免税店にいくことにしました。町には売られていなくても、外国人だけがパスポートを示して入店を許されるその店には、チョコレートでも、100%の果物のジュースでも、なんでもそろっているのです。外貨獲得策で、お金(外貨)を出せば、いくら物不足の国でも、ある程度は自由にものが買えるというわけです。

当時、社会問題に関心が無かった私は、とくに疑問も持たず、免税店で『グラニーニ』ブランドの100%オレンジジュースを買って、ジュースの瓶を裸のままで手に持って、伴奏者と一緒に、近くの公園に向かいました。

そのとき、公園で噴水に向かう道すがら、先生に引率されたおそらく小学校低学年くらいの子どもたちの一行とすれ違ったのですが、その子どもたちがこちらを指差して、口々に「グラニーニ、グラニーニ!」といったのです。

一瞬、なにをいわれているのかわからなかったのですが、すぐにそのジュースが当時の東では珍しい高級品であることや、そういったものが現地の人たちには入手できないものなのだということに思い当たりました。

それに気づいたときの気まずさ、罪悪感。恥ずかしさ。ああ、こういう子どもたちの手からよりよい食べ物を奪いながら日々栄養足りてる自分。たかだか10日くらいも我慢できずに免税店で100%ジュースを買わずにいられない自分の弱さと情けなさ。そして数日後にはまた西に戻って、豊富な食べ物を買い放題の生活に戻るというこの格差と傲慢。

当時、まだ十代で、日本と欧州しか知らず、他より優れることしか頭になく、学生寮の地下にこもって1日に6時間から8時間もひたすら練習ばかりしていた私が、はじめて社会の中で、他のより弱い人から日々、あらゆるものを奪い続けて生きている自分を、実体験によって自覚した瞬間でありました。

その記憶は風化することなく30年も持ち越されてきて、それが、スーパーで海外ブランドの100%のジュースを目にした瞬間にフラッシュバックしたのです。

うろたえた私は、そのまま何も買わずにその場を去りました。

これから、より安全な食べ物をどう確保していくのかは、頭の痛い問題です。
誰だって、より安全で体によい食べ物を食べたい。私もそうですし、子どもに食べさせるときにはなおのことです。

そこで、自分たちの安全を確保したいという本能と、どのようにして、安全な食べ物をシェアしていくのかの折り合いをつけていくのかは、早めに考えて、本当に草の根レベルで小さなことから対策していかなければいけない問題だと思います。

それはたんに、安全な食べ物を確保するだけでは足りないと思います。それだけに任せてしまったら、ただの弱肉強食です。経済力と体力と、数の勝負になっていきます。より経済力のあるもの、より体力のあるもの、より健康なものが、必ず勝ちます。

しかしその競争に勝つことが無条件によいとは、やはり信じることができずにいます。

自分が安全な食べ物を得ることは、隣人から安全な食べ物を奪う行為と無関係では済まされません。だからといってじゃあ自分が犠牲になりますけっこうですというほど達観できているわけではないのですが、できうるならばやはり、できる限り分け合っていく仕組みをどうやってつくれるのかという悩みや痛みは捨てたくないのです。

具体的には共同購入とか、地域の生産者と連携してどうやってより安全な食べ物を確保するのかの方法を試みるとか、周辺でもいろいろな動きがありますし、自分自身もあがいています。

何が正しいのかは、まだわかりません。選択肢があるということは、正しい答えはないということなのではないかと思いますから、たぶん、間違えたこともたくさんやることになるとは思いますが、それでもなにもやらないでパワーゲームに任せるよりはマシなのではないかと思ったりします。日々、葛藤ではありますが。

これから収穫シーズンを向かえて汚染が明らかになってきたら、状況は厳しくなってくる可能性があります。そういう状況であればこそ、できそうなことは試みること、他者に働きかけること、排除しないこと、できるだけ対立せずに対話していくこと、情報を共有すること、できるだけ分け合いながら自分や子どもを含めたみんなにとってよりよい道をみんなで探していくこと。そういうことを諦めたくないと、改めて今、思っています。

20110807 og

3 件のコメント:

  1. 「よりよい食べ物をめぐる葛藤」拝読しました。



    とても、共感する内容で、私にも似た経験があり、

    心に重くずっと抱えていた想いがあります。



    こちらを読ませていただき、同じ想いなのかと、自分の過去を振り返ってみたくなり、

    すこし長くなりますが、文字にしたためてみたいと思います。





    私の前職は、主に海外から衣料品を輸入し販売する小売業をしていました。



    日本では、当時、一部のおしゃれな若者の間で、

    「ユーズド」と呼ばれる「アメリカの古着」が大人気でした。



    若いころ、アメリカで過ごしたパートナーと店を切り盛りしていた私は、

    その「古着市場」に興味が湧き、知り合いのつてと、パートナーの語学力と行動力を活かして、古着市場アメリカのロサンゼルスに身を乗り出しました。



    ロサンゼルスの「ローズボウル」で毎月一回行われる“アメリカ最大のフリーマーケット”には、欠かさず仕入れに行くようになりました。(日本の古着業者のほとんどが訪れるという大きな市場)



    幾度となくそこへ通ううちに、そこで目に留まったのが、

    真面目で働き者、仕入れのセンスもいいマイクさん(男性、当時40代)。



    彼と取引をするようになってから、私の店は、みるみる売り上げが伸びていき、

    地元の若者からちょっと知られた“ユーズドショップ”として、成功とまではいかなくても、

    それなりに賑わい、気が付けば、従業員を何人も雇うほどになっていました。



    ちょうど、日本はユーズドブームということもあり、

    仕入れたものは、飛ぶように売れていき、販売価格もこちらの思うままというような追い風に煽られ、根拠のない自信をつけ、毎月のように、アメリカに渡っては古着を買いあさる。



    そんな、日々を何年も続け、ふと、客観的に周りを見渡すと、

    アメリカで日本人相手に古着の仕事をしている「ディーラー」は、

    ほとんど、いや、すべてといっていいくらい、「ヒスパニック系」の低所得者なのであることに気付く。



    そうだった。

    メインで取引をしているマイクさんは、ヒスパニック系ではないが、

    ベトナムからアメリカにボートピープルとしてやってきた難民だったのです。



    ベトナム訛りの英語で話すマイクさんと語学力ゼロの私は、よくジェスチャーをまじえて話していました。

    どうして、アメリカに渡ってきたのか、どうやって言葉も通じない文化も違うアメリカで、お金を稼いで家族を養ってきたのか。



    彼の背景には、私たちがオシャレにユーズドなんて言ってる世界とは全く異なる、

    理不尽で想像も出来ないものがありました。

    もう、圧倒的に背景が違い過ぎるのです。



    彼とは、仕事以外でも仲良くなり、家族付き合いをするようになり、

    彼の暮らす家にも行き来をし、いつもベトナム料理をおご馳走になったりと、

    言葉は通じない、文化も育ちも違うことだらけだけど、

    どこか、ほっとするような、心が通じ合う時間を過ごしていました。





    しかしながら、マイクさんと行動を共にしているうちに、

    フリーマーケットで、古着の買い付けをする日本人が、

    心無い言葉を言ったり、値切り倒しているのを見ると、

    同じ日本人として、恥ずかしいような、胸が締め付けられる思いで見ていました。



    最初の頃は、自分のことで精一杯で、何も見えなくて、

    「いい物を安く仕入れる」ことに違和感なく仕事をこなしていましたが、

    いつの頃からか、お互いが儲かる「フェアプライス」を意識するようになり、

    自分が儲からなくては、相手も儲かる仕組みがつくれなくて、

    どうしたら、それが成り立つのか、いつも、パートナーと激論を交わしていました。



    また、無礼講が当たり前で本音が行きかう「フリーマーケット」だからこそ、

    恥ずかしい日本人にならないように、相手もまた同じ人間なんだと肝に銘じ、

    より丁寧に、相手をリスペクトする態度で接していこうと、

    自分に言い聞かせて、また、同行するスタッフに言い聞かせていました。






    そうこうしてるうちに、景気のいい場所には、大手の割り込みがつきもので、

    例にもれず、古着市場も大手にごっそりもっていかれる感じがありました。



    最終的に、近所には、東京の大手の店が軒を連ね、

    価格戦争に発展し、激安価格で、売りさばく始末。その先には何も見えない。

    うちなんかの、小売店は、太刀打ちできません。

    大手にはないサービスや、仕入れの質にこだわり、差別化で共存を望みますが、

    相手は、徹底して富を貪ってきます。

    景気がいいとはいえ、流行の限られたマスの世界。

    まさしく弱肉強食の世界です。


    私には、それを、乗り越えるだけの知恵がなく、また、努力が足りませんでした。





    そして、いろんなことが重なり、私は重いうつ病を発症。

    あんなに、パワフルに動き回り、多いときは、年に10回もアメリカと日本を行き来していた私は、

    ある日を境に、電池切れした人形のように、寝たきりで動けなくなりました。

    パートナーからは、やる気がない怠けているだけ、働かざる者食うべからずと罵られ、

    従業員の気持ちも離れていき、

    すっかり、ひとりに。

    ますます、私はおかしくなっていきました。









    時は、ずいぶんと流れ、

    私は、誰も知らない土地に引っ越し、

    いま、富を奪い合う仕事とは違う、介護の仕事に携わっています。

    そして、これで、よかったのだと思っています。



    あの時、お世話になった、マイクさん一家は、今ごろどうしているんだろう、と、

    空を見上げ、遠い空に想いを寄せています。





    こういった、気持ちを言うのも書くのははじめてで、

    うまく伝わるかどうか不安ですが、

    こちらの文を書かれた方には、通じるような気がして、

    投稿させていただきました。



    いろんな場面でいろんな一石を投じてくださる筆者の方へ、

    閉じ込めていた過去を思い返すきっかけを与えてくださり、
    心より感謝いたしております。



    ありがとうございます。



    kurumi

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  2. kurumiさん、シェアありがとうございます。うれしいです。

    (昨日、コメントしたつもりが、なぜかどこかにいってしまったようなので書き直します。)

    kurumiさんの経験、ゆっくり読みました。

    それからずっと、ものを買う、ということ、売る、ということの責任について考えています。

    私たちは日々、ものを消費して生きていて、その消費のなかには、生きていくために必要な消費と、QOLをあげるための消費があって、逆にいうと、その消費の格差は、そのまま、生存する権利や人権の格差につながっていってしまうのではないかと思います。

    金があるということがその人の生きていく権利や人として尊重される権利に直結する。生存権すら金で買えるということに、実際になってしまっています。

    そして、私たちは被害者にもなるし、加害者にもなる。望むと望まざるとにかかわらず。なぜならやっぱり私たちは世の中の一部であって、ただひとりぽつんと存在しているわけではない。

    だから、私一人が、とか、これくらいは、というのは実は違って、ひとりひとりが、それぞれに微妙な影響を与えながら世の中は動いていって、それが蓄積されたところの姿が、今の社会のかたちなのかな、と思っています。

    ということは逆にいえば、その社会のかたちは、自分たちが少しずつ、できることを、本当に小さなことでもやめないで積み重ねていくことでしか、社会変革というのはありえないのではないか。

    世の中を変えて生きる、といったフレーズは、一昔前の非営利公益活動分野のトレンドで、社会的企業などという肩で風を切るような言葉が流行り、ちょっと敏感な人は、みんな、それに飛びつきました。ちょうど、環境分野でいっとき「ロハス」という言葉が流行ったような感じです。

    しかし、企業(それがどんなに小さなものであれ)は本来、社会のために存在するものであり、社会的企業でない企業に存在価値はないし、存在価値がなければそこに金を払う人はいないはずなのです。お金を払うのは、それがなんらかの役に立つからです。

    だから、社会的企業でない企業は、企業としてはNGなんだろうと思います。

    ・・・・・・と書いているうちに時間切れです。

    また続きを書けたら書きますね。

    kurumiさん、私たちもこのようなささやかな場所でのやりとりであっても、お互いに影響をしあっていますね。社会って、そういうものでできているのだと思います。

    よい一日をお過ごしください。










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  3. まさか、お返事をいただけるとは思ってもいなかったので、とても嬉しく感動しております。
    しかも、たった私一人のために、このようなご丁寧なお言葉をいただき、もったいない限りです。何度も繰り返し読ませていただきました。
    ありがとうございます。

    私もまたどこかで誰かと影響しあっているんでしょうか。だとしたら、嬉しいです。そして、少しずつ今できることの蓄積が社会に、しいては私たちの未来に繋がっている、、、ショートカットなんてあり得ないんですよね。ほんとに納得です。


    2012年1月2日の「何かを変えるということ」に
    「変化というのは、けっこう地味な積み重ねで起きてくるものなのではないかと思います。」とあり、こちらに書かれていた上司の方のあり方に、「なるほど!!!」と感じることばかりで大共感しております。

    何を読ませていただいても、どれもこれも、考えさせられることばかりで、筆者の方の鋭い着目点と感性に、私の鈍っていた感性が刺激され、響きまくっております。

    これからも、どんどん「伝えたいこと」を響かせてください。

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