逃げるべきか逃げざるべきか。同じことを前に書きました。
http://d.hatena.ne.jp/shinsaigo/20110412/1302565889
ブログ投稿の日付を見ると4月12日。もう、一カ月以上も前のことだったのかとふりかえると、今の状況が一カ月以上経っていまだ根本的な改善がないどころか、むしろ悪化しているようであり、その中で、私たちみんなが、あのボロボロの廃屋から拡散し続ける放射性物質に囲まれて日々の生活を送りながら、それを「なかったこと」のようにふるまいながら暮らす他になすすべもなく、これからの台風シーズンを前に、まさにゆでガエル状態に陥っているのだという残念な事実を自覚せざるをえません。
前にも書いたのですが、私は以前、民主党のホームページのご意見欄から、内閣総理大臣菅直人氏宛てに嘆願書を送っています。その後、いまはとにかく、必死に手立てを講じてくれているのだと信じ、とにかく今はその日がくるまで待とうと覚悟を決めたのでした。
「その日」というのは、つまり、自分たち日本に住んでいる人たちが、もちろん一度に、ということではないにしても、年齢などを考慮しながら順次、海外などに可能な限り一時的あるいは移民として避難することが可能となる日、ということです。
以下に、その文の全文をコピーしました。(2011年3月16日付)
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原子力発電所事故に関連した国民の国外退避に関する嘆願について
私は、栃木県宇都宮市に住む14歳の子どもの母親(46歳)で、チェルノブイリの原発事故の時に、オーストリアのウイーンに住んでいました。チェルノブイリの事故が起きた当時のソヴィエトの、広大な.国土の片隅で起きた(災害などと連動していない平時の)事故は、世界を震撼させました。そして、数年に渡ってヨーロッパ全土で被爆が強く懸念され、ヨーロッパ中、むしろ全世界が被爆に対する危機感を共有していました。その広域的な影響は甚大なもので、鮮明に記憶に刻まれています。
そして、同レベルの事故に発展しかねない今回の福島第一原発事故の危機にある日本にいて、当時のソヴィエトの広大な国土、ヨーロッパ全体のスケールと比較すると、日本の国土はあまりにも小さいのです。中国からの黄砂を心配しなければならないような日本で、20キロ、30キロのレベルで核被爆を議論することは、果たして現実的なことなのでしょうか。
この小さな国土にいる私たち日本国民は、今、おそらく全員が、被爆の危機にさらされています。そして、このような事態に至っても、子どもたちは、被爆の危険性がある中を、学校に通っています。
国外の友人たちからは、刻一刻と変化する情勢のなかで、早く決断して国外退避せよと、立てつづけに連絡が入っています。それが、私たち日本の、世界から見た客観的な状況です。
今回は、災害被災があまりにも甚大であったため、世間では、原子力発電所の事故は、災害に付随するものと受け止められているふしがありますが、災害被災と原子力発電所の事故は、ことここにいたっては、まったく別個の問題として考え、対応すべきではないでしょうか。私たちは今まさに最悪の被爆危機の真っただ中で日々の生活を送っています。これは過去ではなく、現在、進行中のできごとです。
私は母として、また、世界で唯一の被爆国の国民の一人として、今までそのことについて行動してこなかった自らを恥じています。
しかし、責任の追及や今後の課題を検討する時期は、おそらくもっと後にくることでしょう。今は、ただ、私は自分の子どもを含む、日本の未来を担う子どもたち、そして私たちみんなを、被爆の危機から救っていただきたいだけです。未来に後悔を残さないためにも、一刻も早い対応が今、必要であり、それができるのは内閣総理大臣だけです。ことが安全に終結する可能性ももちろんあると思いますが、そうではない可能性もゼロではありません。希望的観測などなんの役にもたたないことを、私たちは学んだばかりです。何ごともなく済めば、十年後に笑いながら苦労話を語りあえばよいだけです。
以下に、内閣総理大臣への具体的なお願いを書きました。どうぞよろしくお願いいたします。
2011年3月16日
氏名・住所・連絡先
日本国内閣総理大臣菅直人様、
嘆願書
以下について、一刻も早い対応をとられますよう嘆願いたします。
1.被爆の危険を最小限にとどめるために日本全体に自宅待機を命令してください。
2.国民と在住者が一時的に国外退避できるように各国に協力を要請し、国外に一時避難させる手立てを講じてください。
3.日本国民および在住者が核被爆難民として国外に受け入れられるようにしてください。
4.日本国民および在住者が緊急避難に際してすみやかに移動できる手段を講じてください。
以上
_(送付文書終わり)____________________________
私は、当初から基本的に日本の中で移動するだけでは間に合わないので、海外にも(とくに乳幼児や妊婦など)一時的にであってもよいので避難させるべきだと考えていました。しかし、よほどの経済力がない限りは、海外にいっても滞在許可には期限がありますし、外国人は労働も自由にできないので長期滞在は困難ですので、やはりそこは、国が海外と交渉しないと個別対応では解決にならないと思いました。また、若いころに海外で暮らした経験からも、やはり一人で逃げるのではなく、みんなで(集団で)逃げたほうが生存率が高そうだ、とも思っていました。これを書いた当時は、事故の全容が明らかになっておらず(もっとも今も明らかにはなっていませんが)、テレビは津波の映像一色でという時期でした。もともとは、これをもとに署名活動を行ってから送ろうと思っていたのですが、最終的には直接、民主党のホームページから送りました。
これを書いたとき、海外の友人からはさっさと決断して逃げて来いとメールが次々と届いていて、正直、私もそうすべきか迷いましたし、それは今にいたるまで、常に選択肢のひとつとして捨ててはいません。しかし、国による避難措置がとられればそれが一番よいわけで、なにより、数年前から自殺のことに関わってきた経験からも、生き残りには生き残りのつらさがあることも承知していたので、やはりみんなで一緒に生き延びる道を選びたい、それが可能になるまで今いる場所で働きかけを行っていこうと、このメールを送った時に決めたのです。
しかし、それから二カ月以上が経った今、結局、そのような政府による行動は行われなかったし、福島から他地域への移動すら十分に支援されていないという事実を前にしては、おそらくこれからも行われることはないであろうということは、残念ながら、事実として受け止めざるをえません。
逃げるということを考えると、親しい人や仲間、お世話になった人、今まで築き上げてきた人や地域との関係など、失うものの大きさに立ちすくみます。現実的な話しであれば、じゃあ、この荷物はどうするのかとか、仕事はどうするのかとか、子どもの学校は友だちは、など、生活というものがいかに多くの人やことがら、ものとの関係性の中で成り立っているのかが改めてわかり、それを捨て去ることのエネルギーの膨大さに、茫然としてしまいます。そんなエネルギーがとても、わかない。時間もない。どうしたらいいのかわからない。
しかし、そんな膨大なエネルギーを費やし、多くのものを失ってもなお、やはり生き物としては逃げざるをえない場合があると思いますし、その決断を、私自身も毎日、迫られ続けています。
今、原発のことに関連して一緒に活動している仲間がいるのですが、仲間が逃げることになったら全力で応援し(だってそれはここが危ないということですから)、そこで足場を固めて、順次、こちらからも呼んでもらおうかと思っていますし、仲間ともそういう話しをしています。
いっせいのタイミングで逃げるのは政府などによる強制避難でもない限りまず難しいし、まっさらの未知の土地に移住するよりは、仲間がいる土地に移住したほうが、おそらくはるかに地域になじみやすいと思います。いっそ、誰か代表を立てて先に移住してもらって受け入れ態勢を整えてもらって順次移住する、くらいのことはやってもいいのかもしれないと、最近は考えるようになってきています。
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