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2012年4月12日木曜日

ドイツWDRのQuarks&co によるフクシマレポート(翻訳途中で未完)

以下、ドイツWDRのQuarks&co によるフクシマレポート Zukunft der Ruinen von Fukushima /Quarks & co

翻訳途中です。誰か助けてくださらないでしょうか(^^; 




ドイツ語使わなくなってからもう長いのでぜんぜんスピードも翻訳の質も追いつきません。根気も続かない・・・なんとかがんばったのですが、とにかくもう再稼動しちゃいそうなので、途中でいいからアップしちゃえ、という見切りです。間に合わなくてすみません。

あと、一応、放送局には翻訳掲載の許可くださいというメールしたのですが、まだお返事もらっていません。ですので、もしかしたらこの投稿は削除しなければいけなくなるかもしれません。

あてはまる日本語を知らなかったりよくわからないところは飛ばしています。
また、中略もしていますので、以下、未完だという前提でお読みください。

とくに、後半のチェルノブイリとの比較をどうしても多くの方に読んでいただきたかったのです。
福島第一原発の爆発事故は、この規模の事故としては奇跡的に被害が少なくて済んでいるということを研究者がいっていて、これは、再稼動に反対する論拠として非常に重要であると思いました。

とにかくまずは以下ざっとお読みいただけましたらありがたいです。
校正などもしていないので直訳で読みにくいのですが、そのへん想像でおぎなってください(^^;
前半は当日現場にいたドイツの技術者による証言、後半は研究者によるチェルノブイリとの比較です。放送では、この後、テプコの今後の構想などについても図解していて、それも非常にわかりやすいので追って訳したいと思います。

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WDRのQuarks&co  Zukunft der Ruinen von Fukushima /Quarks & co

 
2011311日、福島の原子力発電所はメルトダウンを始めました。
正確な情報は得るのが難しい。当時、なにが起きていたのか、そしてその後の12ヶ月に何があったのかをQuarks&Co がご報告します。


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1年前に福島で原発事故が起きました。私たちは日本にいって破壊された原発の現状を把握したいと思い、そのために努力してきたのですが、いまだ現場敷地に自由に立ち入ることができません。情報写真はテプコにコントロールされています。

しかし他の方法もあります。この腕時計は録画ができます。日本のジャーナリスト スズキ トモヒコ氏が、このような腕時計をもって作業員として現場に入り撮影しました。

このようなバスで毎日、原発敷地内の巨大な汚染水のタンクのそばを通って現場に入ります。作業後には完全防備のマスク(このようなマスクは非常に呼吸が困難だそうです)、また防護服のなかは非常に暑い。作業の後に放射性物質が服についているかどうかを調べます。

テプコは独立系(フリー)の科学者やジャーナリストが立ち入るのを嫌います。情報が漏れるのを恐れているのでしょうか。そこで私たちは様々な情報を拾い集めてつなぎあわせ、再構築しました。

<当日>
それはいつものルーチンな訪問だった。ドイツの技術者(material Pruefer)グループは日本の同僚たちをサポートするために福島第一原子力発電所にいた。2011311日は、福島第一原子力発電所の4号機で作業中だった。そのとき、揺れが来た。

「幸運なことに私たちはそのときに建屋内にいた。危険なのではないか。いや違う。巨大な重機が揺れを吸収して大きく揺れ動いていた。それらがどれほど柔軟にできているかを私たちは目の当たりにした。」
もちろん耐震性だ。しかしそれはマグニチュード9に耐えうるほどではなかったのだ。

「みんなが何かにつかまりながら周囲を見回していた。それはたいへん長く感じられた。」

それでも原子力発電所はこの地震に耐えたのだ。

地震の時には原発は自動停止する。このシステムは東海岸の多くの機器で採用されている。それで地震の後に電源ネットワークが壊れた。
地震の後に彼らは原発建屋を後にした。スピーカーから津波の警告が放送された。
「私は、そこで海全体が引いていくのを見た。数メートルというスケールではない。見渡す限り一面の海が退いていったのだ。港からは船も一緒に引いていく。それを見てそこに立って、こんなことはありえない、これからいったい何が起きるのかと思った。そしてちょうど海が引いていったのと同じような速さで、それはまた戻ってきた。」
「とんでもない量の水がただそこにあった。押し寄せた。港から引いていった船がすごいスピードで戻されてきた。スペクタクルとしかいいようがない。」

原発建屋はなんとか持ちこたえた。すべての原発は緊急電力モードに入っていた。そのような重要な機器はいつも複数つくられる。機器は最高6メートルの波を免れるはずだった。しかし15メートルではない。津波はすべての緊急電源を破壊した。ただ5号機・6号機だけは少しだけ高いところにつくられていたので波を免れた。技術者はここでだけは緊急電源を確保できていた。

1号機から4号機ではすでにバッテリーだけで動いていた。計測器は壊れた。従業員たちは盲目飛行をせざるをえなくなった。そして緊急バッテリーが次々に機能を停止したことに彼らが気付くのは、あまりにも遅すぎたのだ。緊急バッテリーが空になっていた。

停止したリアクターも熱を発する。10000tocksieder 冷却水が蒸発する。格納機内の圧力がマックスの2倍に上昇する。格納容器が破裂しそうになる。技術者たちはベントを決断する。上記が建て屋内に充満した。上記には放射性ヨードとセシウムが含まれていた。そして酸素も。危険な混合だ。

水素爆発が1号機で起こり、間もなく3号機でも起こった。そして放射性物質を周囲に拡散した。

何が壊れているのかすらわからなかった。1号機から4号機は破壊されていた。周辺は廃墟と化しており、原発につながる道は、津波で通れなかった。


日本の技術者たちは今、できるだけ早く対応しなければならなかった。
「メインの建物、おそらく30メートル×30メートルの大きなホールに3倍の人が集まっていた。信じがたいほど静かだった。Der Gereuchpiegel und so vielen in Klassenzimmer, **** 彼らはあちこちチェックしては何が起きたのかなどを話したりしていた。

冷却のためにはより多くの水が必要だった。ポンプで水を供給した。しかし放射性物質のために長時間は滞在できない。だからヘリコプターでの散水が試みられた。しかし、その方法では冷却はできなかった。

彼らは戻ってこなければならなかった。なぜなら、メルトダウンはなんとしても防がなければならなかったからだ。格納容器の上から水が注ぎ込まれ、注ぎ込まれた水は汚染されて下からまた出てきて地下に満ちた。労働者にとっては危険なエリアだ。

労働者の二人のブーツに汚染水が流れ込んだ。その肌はまるでやけどをしているようだった。この症状は、すでにチェルノブイリでも知られている。

住民は避難所に移動した。ドイツからの技術者たちと同様に。

3人の小さい子どもを連れた若い母親と一緒になった。私たちは10人のドイツ人。食べ物はない。そしてその若い母親は、私たちに1パックのクッキーをくれた。彼ら自身がなにひとつとしてもっていなかった。子どもも3人いる。それなのに、私たちにクッキーをくれた。」

その家族が彼らに携帯電話を貸してくれたので、彼らは帰国することができたのだ。

日本の技術者たちは残って、その後の数カ月に渡って冷却を続けた。そして今、破壊された廃墟の安全確保がテーマだ。それは困難で長い道のりだ。

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(コメンテーター)

この間、私たちは福島でメルトダウンが起きていることを知ることになった。核燃料は格納容器を突き抜けセメント層に食い込んでいる。しかし地下水はかろうじてわずかなセメントの残りで守られているようだ。少なくとも事業者(テプコ)はそう説明している。


私たちは、今回のこの事故と1986年のチェルノブイリの事故に多くの共通点をみることができる。
これはチェルノブイリの画像だ。破壊された建屋。同じように福島でもヘリコプターを使った水冷が試みられた。そして、ちょうどチェルノブイリで労働者たちが建て屋に入って行ったように福島でも同じことが行われている。チェルノブイリでは何千人もの住民が退避させられた。同様の絵が福島で25年後にも繰り返された。
ここから私たちが知りうるのは、どの時代でどの場所で起ころうとも、原発事故では同じようなシナリオにしたがってことが運ぶということだ。それは情報の隠匿においても同様だ。
ロシアでは、多くの詳細情報が、ソビエト連邦の崩壊後にはじめて公表された。たとえばここにある画像。若い兵士たちが原発の後片付けに狩りだされた。何千人もの若い兵士たちが90秒で一生に許容しうる分の放射性物質を超える環境で天上の瓦礫の片付けなどを命じられた。チェルノブイリでもロボットが使われた。しかし当時は高い放射能に耐える技術がまだなかった。そして今また日本でもロボットが使われている。今回はしかし、成功している。

事故のあと、従業員は破壊された施設の後始末と敷地の除染に追われている。彼らは施設外で宿泊する。施設の一部はロボット以外は立ち入ることができないほどに放射線量が高い。このロボットたちがもっとも危険な作業を福島で行っている。操作するのは、施設の内部を熟知した従業員たちだ。そのうちの一人が、ブログで情報を発信している。S.H氏。タイトルは「言いたい放題やりたい放題」である。

「言いたい放題、やりたい放題。426日。我々の今日の課題はロボットで瓦礫を片付けること。建て屋をみる。これが何だったのかすらもう見分けようがない。まだ建っているのが不思議なくらいだ。

S.H氏はロボット操作をする前に研修を受けなければならなかった。

「私たちは放射線量が比較的少ないエリアで訓練を受けた。それでも完全防備しなければならない。まるで霧の中にいるように感じられた。ロボットの操作はちょうどプレーステーションのようだった。」

いまだに、燃料棒の冷却は最重要課題だ。汚染水は常に地下に流れ出てくる。それを除去するのが彼らの重要な仕事だ。

truemmer

(中略・・・というかまだやってません・・・)





テプコの発表によると、250ミリシーベルト・年以上の被曝をした従業員は6人だという。しかし、いったいそれが真実だとどうしてわかるのだろう。もしかしたらそれはもっと多いのかもしれない。そしていったいどれくらいの放射性物質が拡散されたのであろうか。多くの日本人がすでに政府の計測発表を信じていない。彼らはむしろ独立した検証結果を求めているのだ。

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アルゼンチンのサバンナの真ん中に高感度の計測ステーションがある。人間には見ることも匂うことも感じることもできない物質を感知する。放射性物質だ。もし通常より多い放射性物質が環境に放出されるとこのフィルターが感知する。仮に南アメリカで非公開で核武器実験が行われると、このフィルターにアイソトープが表示されて危険なセシウム137を検知する。そしてそれは原発事故でも同様だ。

全世界で80あるこの核計測ネットワークは、福島の事故を分析するのにたいへん役立った。
ノルウェーのLuftforschungsinstitut Metheologen 研究者Andreas Stohl とその同僚は、ふだんは雲の広がりを天候データから導き出している。しかしそれは、放射性物質を含む雲にも同様にできるのだ。

福島の事故の後、このオーストリア人の研究者は最初の予測を行った。
「事故後、まず多くの問い合わせがあった。
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どれくらいの核物質が拡散したのか。
どの国が一番、影響を受けるのか。
そしてこの事故はチェルノブイリと比較できるのか。


ここウィーンに世界中のデータが集められた。ここでは国際的な環境団体が独立して研究を行っている。目的は核実験の把握だ。Andreas Stohl はこのネットワークのデータにたどり着いた。

まず最初に彼はこの核事故の解析を行った。
彼の計算は、311日の事故について、新たな視点をもたらした。

事故後、最初の3日間は、事実上ほぼすべての核物質が大洋に流れた。
この時点では近隣住民のみが被ばくした。
この時点であればまだほかのほぼ全ての国民が被ばくを避けられていた。
彼らからはわずかな核反応しか検知されていなかった。
しかし、それから間もなくして状況は変わる。
4日目に季節風によって風向きが変わり、核物質を含んだ雲は日本列島を覆う。この瞬間に、もっと多くの核物質が放出されている。立ち入り禁止区域以外にも多くのエリアが何年にも渡って居住できないほどに汚染された。

9日目に風はまた向きを変える。核物質を含んだ雲が東京を覆う。350万人が住む大都市だ。

「幸運なことに、もっとも濃い核物質が東京に到達した時、東京で雨が降らなかった。もし降っていたらもっと深刻な災害になっていたはずだ。」

しかし放射性物質を含んだ雨が他の地域に降った。3日間に渡って日本は汚染され続けた。

彼は福島の事故をチェルノブイリと比較する作業を行った。

福島では、25年前にチェルノブイリの半分以下のセシウム137が検知されている。

「チェルノブイリと比較すると、風向きがどうあろうと大陸ではそれが陸地に落ちる。
福島の原発は海岸にあったために多くの放射性物質が海に流れた。」

汚染状況はこうだ。79%のセシウムが海に流れた。
そこで海水によって薄められ、比較的無害になった。日本列島には19%が流れた。そして残りの2パーセントがアメリカ大陸へ。他の地域は汚染を免れた。

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福島とチェルノブイリを比較してみよう。ここに縮尺の同じふたつの地図がある。まず核物質セシウム137をチェルノブイでは、このように汚染地域が広大であることがわかる。ウクライナ、白ロシア、ロシア。日本では、多くの放射性物質が海に移動している。
日本の汚染状況をさらに詳しく見ると、放射性物質は均一に拡散しているわけではなく、風向きによって特定の地域に集中している。これら地域が汚染されたのだ。



さて、福島はこれからどうなるのか。
テプコのプランはこうだ。

1号機をはじめとした他の崩壊した建て屋は今後、覆われなければならない。

(続く・・・)