原発事故直後から風評被害がいわれはじめ、最初は私も、現場が混乱しているからだと思っていました。しかし、測定をしない、産地をあいまいにするなど、明らかに意図的な実態隠しを疑わせる情報が入ってくるようになり、改めて、このことを整理してみることにしました。
風評被害とはなんぞやと素直に考えると、根拠のないうわさ話などによって誤解が生じ、それによって消費者の購買行動などが影響を受けて、あるものが売れなくなるようなことがイメージされます。たとえば、オーストラリア(コアラのいるところ)で地震がおきてしばらくは渡航しないほうがいいといったようなことが起きた時に、たんに国名の音が似ているオーストリア(ヨーロッパの)への観光客が減ったとしたら、これは風評被害といえると思います。まったく関係がないのにとばっちりを受けた。これが風評被害でしょう。
では、今の日本でいわれている「風評被害」がこのような「とばっちり」にあたるかというと、そんなはずはないのは明らかです。実際に放射性物質が拡散しているという事実に基づいていて、その健康被害等の甚大な影響もまた過去の事例等から報告されていて、その放射性物質が入っている可能性がより高い食品等を避けるとしたら、それは消費者側から見ればたんなる「危険回避」です。
これが風評被害だというのなら、生肉を出して食中毒を出したチェーン焼肉屋の他店舗の売り上げが下がるのも風評被害でしょうか? 地盤沈下を起こした住宅団地の家が売れなくなるのも風評被害でしょうか? 過去に公約を破った政治家が選挙に落ちるのも風評被害でしょうか?
ごまかしてはいけません。原発が爆発した。放射性物質が拡散し続けている。それは紛れもない事実で、その放射性物質が日本中で計測されている。これらは事実であってうわさ話や誤解、嘘ではありません。事実に基づいて危険性を判断して回避するのは、生き物として当然の権利です。それはまさに、生きる権利そのものです。
今、マスコミが風評被害という言葉を乱発し、行政機関までがそのような言葉でごまかしを拡散していますが、それこそが、私たちが受けている根拠のない安全神話による風評被害です。それは、実際に数年後に、健康被害という目に見える実害として表面化する可能性があります。
そもそも、被害だというのなら、加害があるはずです。では、今、世間でいわれている風評被害を引きおこしている「加害者」は、いったい誰だというのでしょうか?
テレビが、新聞が、医療機関が、学校が、企業が、行政が、国が、風評被害だといって危険性のあるものを「無知な市民に」食べさせようというキャンペーンをはったら、そのすべては記録され、数年後にきちんとその「安全風評の実害」の責任をとってもらわなければなりません。あの時はあのときだったなどという言い訳を許してはいけない。わからないことを断言するのはデマです。知らないことは知らない、わからないことはわからないといわなければいけない。間違ったことをいったのなら訂正しなければならない。わかりもしないことをわかったようなことをいって、間違ったことをいったのをごまかして上塗りをして、それよって市民の、子どもたちの健康被害を招いたら、あのときはわからなかったでは済まされません。
ですから、様々なところで出される「安全です系」の書面などは、すべて日付をメモして取っておいた方がよいと思います。また、役所や行政機関に電話をかけて安全だと応える人がいたら、日付と担当部署(部・課・担当)とフルネームを必ず聞いて、内容と一緒に記録しておきます。きちんと責任の所在を明らかにしていく。それが行政とのやりとりの仕方のコツです。
また、それらの作物などを消費することが被災地を支援するかのごとくのキャンペーンが行われていますが、風評被害だというレッテル貼りは、実害による被害弁償を難しくさせる危険性があると思います。
風評ではなく実害であれば、きちんと賠償責任を求めなくてはなりません。ところが、風評による被害だと決めつけてしまえば、誰も責任を取らなくていいという話しになります。風評には責任の所在がないからです。
政治家などが風評被害のアピールをしたとしたら、それは、行政による被害弁償の責任逃れである可能性があります。実際、原発の立地などには行政が許可を出しているわけで、当然、政策的な誘致などがあったはずで、放射性物質拡散による農産物等被害が生じたとしたら、それは行政にもおおいに責任があるはずです。もちろん、それを決議してきた議員のみなさんにも責任があります。それはきちんと責任の所在を明らかにしたうえで責任をとってもらわないといけません。そのためには、あいまいな「風評被害」などという言葉でごまかされないことが重要だと思います。
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