ページビューの合計

2011年9月3日土曜日

次の投票について考える(1)

総理大臣が変わりました。そして、何もまだ始まっていないのに、すでに外国人献金問題などで新総理を叩く動きがあり、どうも解散総選挙になにがなんでも持っていきたい人たちがいるらしく、大震災に引き続く原発の大事故の収束もないのに、その総理が誰であろうと「総理である人」の個人攻撃に膨大な時間とエネルギーを浪費するこの国の政治に、一国民として悲しく情けない気持ちです。

・・・・・・などという感傷にひたっている時間は、どうやらなさそうです。

年内に解散総選挙やりたい動きがあるという説もありますので、そうなると、年末年始の時期に選挙ってことはたぶんないので、12月初旬くらいがねらい目なのでしょうか? 逆算すると、解散して選挙準備をして、ということにどう考えても一ヶ月以上は必要だと思うので、11月くらいには解散が流れになっていないとつじつまがあわない。すると、立候補者のアテは、10月には決まってないといけないのではないでしょうか? 

ちょっと待って。とすると、もしかして、もう1ヶ月ちょいしか時間ないの?・・・・・・ということに、書き始めてみて改めて愕然とします。当然、次の選挙準備は、水面下で活発になっていることと想像します。

さて、もし、そうなってしまったら、どうするか。

総理でも議員でも首長でも、誰かがやめたら、必ず誰かがその席に座ります。総理にやめろというのなら、よりよい後継者が必要だし、首長をリコールするなら、次の首長を誰にするのか、少なくとも自分たちの中ではアテがついていないといけません。

そして、それはただの願望ではなく、実現可能でなければいけません。今回、たとえば次の総理として誰がよいかということが議論になったときに、あの人がいい、この人がいい、という意見はたしかによく見かけました。しかし、その多くは、それこそクーデターでも起きなければ実現不可能に近い、夢のような話でした。

野党の政治家を推したり、政権与党の候補者であってもさまざまな事情で現状では総理として国民が受け入れるのは到底無理であろうという政治家であったり、そもそも議員ですらない場合もありました。でも、無理なことを夢見ても仕方がないのです。もちろん、その人を総理にするためであったら命がけでクーデターを起こすことも辞さない、くらいの覚悟と用意があるのなら別ですが。

もっとも、仮に命を懸けたとしても、そういう夢は、基本、独裁政権でもない限り、すぐにかなうことはないはずです。仮に独裁政権国家であれば、武器を準備して軍隊を動かし、独裁者を引きずり下ろして議会場を占拠、指導者もすべて死刑か国外追放、利権集団は財産没収か投獄、それを実現するために法律すべてがらがらぽん、という芸当ができるかもしれません。しかし、今はフランス革命の時代ではなく、日本もそういうシステムになっていません。

ですから、今、私たちにできるのは、選挙権と被選挙権の駆使。地味ですが、これしかありません。そんなわけで、これから何回かにわたって、市民レベルで次の選挙や投票について考えてみませんか、ということを書いてみたいと思います。

まず、誰に入れるかを決めたいし、入れたい人がいなかったら、はやく探してこないと間に合わない。誰かが出てくるに違いないなんて、そんな奇跡、今まで起こったことありましたか? 黙って座っていれば理想の王子様が、お姫様が、「私を選んでください」と現れて杖を一振りして世の中を変えてくれるなんて、そんな夢物語は、この先も100%起こらないと、私は確信しています。


投票日が近くなってきてから、さてこの候補者は何を考えているのかな、などと調べ始める人がいますが、あれ、だめなんです。わかりにくい仕組みになっています。それは法律がそうなっているからなんですが、これに腹を立てて、どうせ政治家なんて自分の意見すら表明しない、だから選挙なんて誰に入れても同じなんて思ったらそれは違うと思います。

そういう、黙って待っていたら理想のお見合い相手があてがわれて、自分はイエスといえばいいだけ、なんて時代は、もう、とっくに終わりました。世の中変えたければ、自分で探しにいくしかありません。自分で探しにいくことすらしなかったくせに、実際に目の前に相手が現れると、この人はダメ、あの人はダメと文句をいう。文句をいう暇があったら立ち上がって探しにいくか、一人でやっていく決心をすればいいのです。

なお、それを書くにあたって、このブログから私の個人名を消しました。実は、この前、この非常時に選挙決行するということに心底、キレまして、県議選に立候補した経緯があるので、特定の政治家(私?私は政治家ではありません。)や選挙について言及する行為と受け取られたくないからです。

立候補を決意したのは公示の二日前の夕方。当然、なんの準備もない無謀な行為で、当然のことながら落選したのですが、おかげさまでいろいろと仕組みの裏が見えました。感想は、できるなら、もっと若い人たちがどんどん立候補すべきだし、それを応援できる機会があったらぜひやりたい、ということでした。

選挙には莫大なお金がかかる、政治家というのは特別な人がなるもの、などなど世間でいわれていることは、ウソではないかもしれませんが、真実かというと、そうでもありません。やってみてわかったのですが、選挙権の駆使と被選挙権の駆使は、基本的には、あまり変わらないことだと思います。投票にいくのと同じように、立候補も誰にでもできます。資格もいらない。学歴も経験も関係ない。試験があるわけでもない。よくも悪くも、誰でも選挙に立候補できる仕組みに、一応は、なっているのです。預けたお金も、ある程度の票が集まりさえすれば、返してもらえます。

ですから、急いで、次の選挙について知恵を絞って考えてはどうでしょう。「政治家」がダメだというのなら、政治家ではない人に、議員になってもらえばいいだけの話です。政治は政治家がやるもの、というのは、ただの思い込みです。政治家がダメだと文句をいうのではなく、市民が政治をやればいいだけの話です。たしかに投票率は低い。しかし、投票率が低いということは、いつでも結果はひっくりかえせるということでもあります。もちろん、市民が結束しさえすれば、ですが。

(つづく)

*上記は、年内に解散総選挙がある、という意味ではありません、念のため。
もしそうなってしまってもあわてないように準備しましょうね、という危機管理の話をしています。

0 件のコメント:

コメントを投稿