サイレント・ウォークをやることになりました。
http://silentwalk2011.blogspot.com/ 『3.11を忘れない。サイレント・ウォーク 2011』
上は一応、告知用のサイトなので、個人的なことをぐたぐたと書くのは望ましくないため、とはいっても個人的に思いがあるからこそやるわけですので、こちらに、もう少し背景や動機などを書きたいと思います。
私にとってのこのアクションのルーツは、天安門事件のときにオーストリアで参加したサイレント・デモです。友人に誘われて参加したのですが、集合場所で主催者の挨拶とオリエンテーションがあり、大声を出さない、走らない、などの注意事項の説明があったあと、参加者に白いカーネーションが渡されました。参加者はそれを持って一緒に街中を静かに行進し、大使館の前にいって、門の前に静かに顕花してその場を去りました。それは、天安門事件のときに亡くなった方を悼み、それに静かに抗議する、といった趣旨のデモでした。シュプレヒコールもなにもない静かなデモですが、抑えているからこそ強い抗議の気持ちの表現方法は、強く心に残りました。
実はそれより数年前に、オーストリアで原発建設計画が持ち上がったとき、当時の現地人の友人たちがみんな反対デモにいくことになり、じゃあ、私もいきたい、といいましたらば、お前は外国人だから下手すりゃ強制送還だからさすがにやめておけ、といわれ、断念したことがありました。それで、若い人を中心とした強い抗議活動などが功を奏し、オーストリアではその後、原発建設は中止されることとなったのです。オーストリアにはそれから30年ほど経ったいまでも、原発がありません。
今回、原発爆発のことがあったとき、しまった・・・、という後悔が強くありました。そういうコミュニティーの中で十代後半を過ごし、また日本では子育て系の地域活動などやってきたのに、そっちには頭がまわっていなかった。ミクロなところにばかり目がいっているうちに、後ろからがつんと殴られたような感じです。今までも、こんな事態にならないように、なにかの活動に参加するチャンスは日本でもいくらでもあったはずなのに、それに気がつかなかった自分の馬鹿さかげんを本当に後悔しました。
チェルノブイリの事故のときに欧州にいて、その頃の欧州の大騒ぎを身近に知っているだけに、今回の原発事故では、正直、ああ、終わった、と思いました。「終わった」というのは、文字通り、もう、ある意味で、世界は(少なくとも日本は)終わりにになってしまった、もうなにもかも遅い、手遅れだ、取り返しがつかないけれど、もうどうすることもできない、ということです。この「終わった」というのは、同じ時期にフランスに留学していた知人も同じことをいっていたので、当時の欧州での事故を身近に経験した人にはもしかしたらある程度共通した反応なのかもしれません。
その「終わった」感は、爆発した原発に、ホースで事故機に水が掛けられる映像を見たとき、決定的なものとなりました。ああ、あんな原始的な方法しかないなんて、ようは危機管理もなにもなかったんだ、ということは、これからもいきあたりばったりの対症療法の積み重ねしかないはずで、それが次の爆発に間に合わなかったら、そのときこそ、本当にもうおしまいだ、と私は思いました。
原発爆発直後から一週間くらいは、私は、自分と、息子と、みんなの(これからまもなく来るかもしれない)死を悼んで、引きこもって泣きながら過ごしました。
西に逃げた人もいましたし、私もそれは考えました。しかし、ヨーロッパの大陸のスケール感からいったら、日本はあまりにも小さすぎました。中国からの黄沙を心配する小さな国土で、その西にいるのか東にいるのかというのは、あまり意味がないように、私には思えたのです。もちろん、放射線の影響力ということからいえば、少しでも遠いに越したことはないのですが、それにしても、地震の活動期に入った日本の各地に原発があって、それがあまりにももろいものなのだ、ということを目の当たりにしては、もはや、ことここにいたっても脱原発の気配のない日本に、この先、安全な場所はないと思いました。この時期、欧州の友人からも受け入れるから逃げて来い、という連絡が頻繁に入り、それも検討したのですが、やはり経済やその他しがらみなど諸事情あって、それは無理でした。一人暮らしの独身で、というのなら別ですが、家族もちともなれば、身一つでぱっと動ける人のほうが少ないのではないでしょうか。昔、チェルノブイリの事故のときに逃げない人を、なぜ逃げないのか不思議に思ったものですが、自分が当事者になるとこういうもんなんだなあ、ということがようやくわかりました。
それで、そうやってgreefの時期にどっぷりとつかって、ある程度、腹がすわってきたので、とにかくもう、事情はどうあれ、ここにいるからには生き延びる可能性を高くするしかない、そのためには思いつくことを片っ端からやろうと思いました。なにしろ、息子や自分の命もかかっているわけですから。
それで、こういう緊急事態に、市民活動とかなんとか悠長なことをいっている余裕はないし、議員に働きかけるよりは議員になったほうが時間が短縮できると思って被選挙権を駆使したりなど、片っ端からできそうなことはしてみたのですが、それは、前提として、その「終わった」感覚があって捨て身になれたからです。原発事故は収束していない。次の爆発があったら、西も東もなく、おそらく私たちみんな、生き残るのは無理だろう、と思っていたわけですから。
その「次の爆発」が(いまのところは)ないまま、まさか半年以上ももつとは、実は思っていませんでした。ですから、当時の菅首相にしても今は病床におられる所長さんにしても、いろいろ責める人はいるのですが、とにかく私個人の感覚としては、現場放棄して逃げなかっただけでも本当に感謝したいです。誰がこんなとんでもない事態のときに責任者でいたいなどと思うでしょうか。彼らが逃げていたら、次の爆発が起きていたかもしれないし、事態はもっと悪くなっていたかもしれません。そうなったら私たちの終わりは、もっと早まっていたと、今でも私は信じています。
前置きが長くなりました。
そんなこんなで、被選挙権の駆使以外にも、いろんな団体にコンタクトしたり勉強したり、ちょっとうちには体の悪い犬がいるので遠出は無理だったのですが、近くで実施されたデモにも参加しました。
でも、デモの冒頭で各種団体のえらそうな人の挨拶があったり、プラカードや団体の横断幕や、左派の政治団体の機関紙に、あたかもその団体の活動であるかのごとくの記事が掲載されたりするとちょっと参加しているこちらとしては釈然としないわけです。別にこっちはその団体の活動に賛同して参加しているわけではなく、生き残るための脱原発、という一点で参加しているだけですから。
それに、一方的に誰かを責める気には、やっぱりなれない。自分だって今まで無関心だった。みんなも無関心だった。その結果、本当に「終わった」になってしまうかもしれない。今、誰かを責めても、もう、世界はもとには戻らない。もっともっと前に、ちゃんと考えたり行動してこなかった自分に、責任がまったくないとは、やはり私には思えませんでした。
それで、12月11日になにかやりたい、という声をかけてもらったときに、政治団体や特定の団体がらみの反対運動なら私は乗らない、そういうのではなくて、女性中心に個人の集まりでやるのならやりたい、といいました。
あと、やはり、原発だけではなく、あの日、地震の直後に、そのときたまたまいた県のNPOセンター(ぽぽら)でテレビをつけたとき、画面の中で、リアルタイムでつなみの前の道路を車が通っていく、逃げてほしいのに声が届かない、なすすべもないあのショック。そして被災地支援にいった友人を通して聞く現状の深刻さなど、やはり、直接に地震やつなみの被害を受けたり、身近な人を亡くしていなかったとしても、ある意味ではやはり残された立場である私たちみんなにとって、個々で差はあるにせよ、これがショックでないわけがないと思うし、私たちもまた、深く傷ついているのだと思います。だから、こぶしを振り上げたり、誰かを責めたり、そういうことの前に、いったんちゃんと悼むということをやらないと、先に進めないような気がしていました。
そして、脱原発派とか、推進派とか、そういうカテゴリわけではなくて、やはりそれぞれの視点が違ったり意見は対立したとしても、人類で初の、このとんでもない難問に、すべての人が初体験のぶっつけ本番で向き合っていかなければならないこの困難な時代に一緒に日本に生きていて、まあはっきりいってこの緊急事態に仲間割れしてる場合ではないのではないかと思いますし、いってみれば、日本人全員が、世界のためにもこのとんでもない課題の解決をなんとしてもしなければいけない責任のある立場なわけですから、とにかく、意見の違いは違いとして別途議論するとしても、基本は同じ方向向いて連帯しましょう、その上で、違いは違いとして冷静に議論して、みんなにとってよりよい道を地道に一緒にみつけていきましょう、というのがいいんじゃないかと思うわけです。
なので、いいたいことはそれぞれ多々あると思うのですが、それは各自でいつでもどこでも街頭演説もできるし、主張の機会は、このようなブログも含めて手段は多様にあるわけですから、それはその日はなしにしましょう、ということにしました。
これが、デモではなく、サイレント・ウォーク にしたかった、私にとっての企画にいたるまでのおおまかなプロセスと理由です。
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2011年11月29日火曜日
2011年9月29日木曜日
次の投票について考える(3)ポスターについて
選挙が近付くと張り出されるあのポスター。
ブルーの背景にガッツポーズだったり、なかには職業をアピールしたいのか白衣のコスプレもどきまであって、個人的には、なにか勘違いしてるんじゃないかと感じます。
有名人や芸能人、あるいは顔の魅力だけで数千人に希求できるほどの自信があるなら別ですが、はっきりいって十人並みで無名な市民の顔など、なんのアイコンにもなりません。(顔だけで数千票も稼げるならそれはすでに有名人といえるでしょう。)
そもそも、選挙期間中は限定されている貴重な広報手段を、顔のアップと、素人が考えた「頑張ります!」みたいな他との差別化ができないようなありがちなコピーで済ませてしまうなんて、なんというもったいないことをするのでしょうか。(ちなみに、顔をアップで出さなきゃいけないなんて様式のしばりは一切ありません。)
コンサートでも展覧会でもポスターがつくられます。そこには、限られたスペースの中で、必要な情報をきちんと伝えて集客をするための工夫がされます。それが集客ツールの基本です。
では、選挙ポスターで伝えるべきことはなんでしょうか。候補者の顔に興味がある人なんて、いったいどれくらいいるのでしょう。顔を比べざるを得ないのは、顔しか出されていないからです。投票する立場から見たら、顔なんてはっきりいってどうでもいい。なにをやるつもりなのか、どういう考えなのか。それが知りたいのです。顔からそれを暗に読みとって、なんてまわりくどいことをせず、堂々と、ポスターに主張を書けばいいと思います。
ちなみに某氏の場合、顔も一応、ツイッターのアイコン程度には出しましたが、右下に申し訳程度に小さく。あとは全面、文字でした。他に考えを伝える手段がほぼ無かったからです。
それぞれの候補者が自分の主張をポスターなどでも書いていくようになれば、素通りされることがほとんどであろうあのポスターも(そのために莫大な公費が費やされるのです)、立ち止まって読んでくれる人が増え、選挙そのものにも、もっと関心がもたれるようになるのではないでしょうか。
政党などの縛りのない個人候補者だからこそ、書けることもあります。組織に属していない人は、失うものもありません。組織の縛りがないという点では、無所属の方が有利なはずです。そのくらいのアドバンテージは逆手にとりたいものです。
なお、あまり欲張って、あれも書きたい、これも書きたいと八方美人をやってしまうと、結局、政党候補者との差別化ができなくなり、埋没してしまうと思います。
欲張らず、ぶれず、自分が本当にやるべき、これだけはやりたい、できる、という「ミッション」を、ひとつきちんと打ち出している候補者の政策に共感ができたら、私は必ずその人に投票したいと思います。
20110929 ntogn
ブルーの背景にガッツポーズだったり、なかには職業をアピールしたいのか白衣のコスプレもどきまであって、個人的には、なにか勘違いしてるんじゃないかと感じます。
有名人や芸能人、あるいは顔の魅力だけで数千人に希求できるほどの自信があるなら別ですが、はっきりいって十人並みで無名な市民の顔など、なんのアイコンにもなりません。(顔だけで数千票も稼げるならそれはすでに有名人といえるでしょう。)
そもそも、選挙期間中は限定されている貴重な広報手段を、顔のアップと、素人が考えた「頑張ります!」みたいな他との差別化ができないようなありがちなコピーで済ませてしまうなんて、なんというもったいないことをするのでしょうか。(ちなみに、顔をアップで出さなきゃいけないなんて様式のしばりは一切ありません。)
コンサートでも展覧会でもポスターがつくられます。そこには、限られたスペースの中で、必要な情報をきちんと伝えて集客をするための工夫がされます。それが集客ツールの基本です。
では、選挙ポスターで伝えるべきことはなんでしょうか。候補者の顔に興味がある人なんて、いったいどれくらいいるのでしょう。顔を比べざるを得ないのは、顔しか出されていないからです。投票する立場から見たら、顔なんてはっきりいってどうでもいい。なにをやるつもりなのか、どういう考えなのか。それが知りたいのです。顔からそれを暗に読みとって、なんてまわりくどいことをせず、堂々と、ポスターに主張を書けばいいと思います。
ちなみに某氏の場合、顔も一応、ツイッターのアイコン程度には出しましたが、右下に申し訳程度に小さく。あとは全面、文字でした。他に考えを伝える手段がほぼ無かったからです。
それぞれの候補者が自分の主張をポスターなどでも書いていくようになれば、素通りされることがほとんどであろうあのポスターも(そのために莫大な公費が費やされるのです)、立ち止まって読んでくれる人が増え、選挙そのものにも、もっと関心がもたれるようになるのではないでしょうか。
政党などの縛りのない個人候補者だからこそ、書けることもあります。組織に属していない人は、失うものもありません。組織の縛りがないという点では、無所属の方が有利なはずです。そのくらいのアドバンテージは逆手にとりたいものです。
なお、あまり欲張って、あれも書きたい、これも書きたいと八方美人をやってしまうと、結局、政党候補者との差別化ができなくなり、埋没してしまうと思います。
欲張らず、ぶれず、自分が本当にやるべき、これだけはやりたい、できる、という「ミッション」を、ひとつきちんと打ち出している候補者の政策に共感ができたら、私は必ずその人に投票したいと思います。
20110929 ntogn
2011年9月11日日曜日
次の投票について考える(2)広報について
今日は、地震からちょうど半年の月命日です。とにかく菅さんをやめさせろ一点張りの国会の空転が、新体制でなんとか落ち着いてくれるのではないかとかすかな希望を抱き始めた矢先、就任間もなく鉢呂さんが辞任してしまいました。
日本が民主主義国だというのは錯覚だったようです。民意ではなくマスコミの気分しだいで大臣の首が飛ぶ国、日本。もちろん、そのバックにはスポンサー様のご意向があるわけです。こういうかたちの独裁というのもあったのだということを、この半年で思い知りました。独裁者が壇上に立って演説した時代はもう終わったようです。
わずか数日でマスコミが騒げば大臣が辞任という現状をみても、この先の政治情勢がいつどう急変するか、本当にわかりません。このままなんとか治まるだろう、という希望的観測に保証はついていません。その保証は「民主主義」であったはずなのですが、その保証がどうやらあてにならないようです。
さて、選挙といえば思い浮かぶのは、あのポスター。選挙近くになると、道ばたにベニアかなにかでつくられた看板が立てられて、そうこうしているうちに、いつのまにか、候補者の顔がでかでかとアップで印刷されたポスターが貼られはじめて、選挙カーががなりたてるようになって、あ、選挙なのね、と気づいたりするわけですが、実は、選挙期間中(公示から投票日まで)以外は、誰も「次の選挙に立候補しますから投票してね」とか、いってはいけないことになっているそうです。
つまり、選挙活動をしていいのは、選挙期間内だけ。普段から、もし議員になったら、こういうことをやりますっていってくれればわかりやすいんですが、それは難しいみたいです。次の選挙の準備活動は法律で禁止されているそうでして、なんだかよくわからん法律ですが、法律は法律。違反すれば公職選挙法違反です。
そんなわけで、みなさん、選挙期間中に、必死でアピールするわけなのですが、そのアピールの方法というのもまた、細かく制限がされています。
選挙期間中にすべての候補者に許されている紙ベースの広報手段は、ひとつは、新聞に掲載される選挙公報(1回だけ)、ふたつめは選挙区内で張る場所が定められたポスター掲示場へのポスターの掲示と、みっつめは、選挙管理委員会から支給される、専用のハガキ、以上です。そのほかの、ちらしとか、メモとか、メールとか、あるいはネット上での広報とか。すべてNG。ハガキも定められたハガキ以外は使ってはいけないことになっていて、枚数は定められていますし、それだって自由に配れるわけではなく、郵便局で所定の手続きを経て送らないといけません。 手渡しNGですし、友だちにお願いして、知り合いに送っておいてくれるかな?みたいなのもNG。ちらしのポスティングとか道端で配るとか、もちろんダメ。
ただし、4人以上の候補者を出している大政党であれば、本人の広報物は無理ですが、政党の広報物は選挙期間内でも配ってもいいそうです。ポスティングでもなんでもし放題。え?なんで?って・・・だって政党の政治活動ですから。べつに候補者に入れてくれっていってないし?という理屈みたいですが、友人が、これを知ってさすがにあまりに不公平だと怒ってました。
ようするに、新聞や郵便文化と無縁な若者層や、無所属の候補者には、自然、不利になるような仕組みです。メールによる広報については、今までもたびたび解禁の動きがあったようですが、そのたびにつぶされてきたようです。
そんなわけで、「もともと不利なルールのもとに戦う」戦略が、若い人や、組織と無縁な人には求められます。その限られた広報手段をどう活用していくのか。知恵を絞らないと組織には勝てません。
次回はポスターについて書きます。
ntogn
2011年9月7日水曜日
次の投票について考える(2)立候補ってどうやるの?
以下、一人称を避けて書きますので「某氏」となっているところはご想像におまかせするとして、さて、思いつくままランダムテーマで書いていくのでいきなりですが、たとえば、ある日、あなたが「議員を動かす動かすっていうけど、いっこうに動いてくれないから、この際、自分で動ける立場になったほうがもしかして話がはやくて合理的?」と思い立ったとして、じゃあ、この際、選挙も近いので立候補することにしたとします。
まず、何をすればいいのか? (この際、選挙とは何かとかネットや本で調べましょうとか、そういう手取り足取りの話は飛ばします。なお、私は政治家ではないので誰からも指導をうけたことはなく、下記はまったくの某氏流で流れだけをおおまかに説明したものです。)
まずやることは、選挙管理委員会(以下、選管と略)にいって、「立候補したいんですけど用紙ください。」といって、申込用紙に記入してハンコおして選挙管理委員会に提出することです。用紙はたしか一枚。住所とか氏名とか。某氏の正直な感想としては、あら、住民票の請求とたいして変わらないのね、といった感じです。
これは、公示までに供託金の払い込みと書類提出が間に合うならば、ぎりぎりでもできます。立候補予定者への説明会なども行われていますが、あれに出ることは、立候補の必須条件ではありません。
つまり、いくつか法律で制約をうけている被選挙権の駆使にとくに問題がなく(ふつうに暮らしている市民で自治体からお仕事もらってるとかそういうことでない限り、とくに選挙権との違いはないと思います。)、申込用紙を書いて提出し、法務局にいって供託金を払い込んできて、その払い込んだ証明書を選管に出したら、一応、手をあげたということになるわけです。実にシンプル。
その供託金なのですが、県議選なら60万円、政令指定都市の市議選は50万、その他30万円です。でも、このお金は、最低ラインの票が集まれば、返してもらえます。その最低ラインも、実はそれほどハードルが高いわけではなく(とはいえ、某氏は被選挙権の駆使にお金がかかるのは不当なことだと考えていまして、最低ラインの票数が供託金返還の条件になるということは、すなわち組織票を持っている候補は実際にはノーリスクであって、政党などに属していない組織票のない個人候補だけがリスクを背負うということになるわけで、このへんも現状の選挙制度の欠陥だと思っていますが、今はそのことを話しても仕方がないのでそこはまた後日ということで)、そこは有権者や候補者の数になんとかを掛けて、みたいな数式があるので選管にきいてもらいたいんですが、私の住んでいる県議選で1300とか。そんな程度です。
ちなみに、一人くらい投票にいかなくたって何も変わらないと思っている人いますけど、立候補する人にしてみたら大違いです。たとえば1300が最低ラインだと仮定したとします。1299票だったら、供託金は没収され、選挙の際などにポスター貼りますよね、あの印刷費も、公費、つまり税金で支給されることになっているのですが、それもNGになってしまって、供託金没収と印刷費だけで、ざっと100万近く。このリスクを背負わなければ立候補できないとなったら、もちろん、立候補する人が減りますよね。で、そういう制度になっているわけです、残念なことに。だから、投票者が少なくて票の数自体が少ないと、組織票のない候補者にはよりリスクは高くなっていくので、組織をバックにした候補者がどんどん有利になっていって、組織から自由な候補者の立候補が抑制されていく、というわけです。これでは「ろくな候補者いないし」といわれても、そうはいってもねー、って感じではないですか?
とはいえ、某氏の場合、公示の二日前の夕方に申し込んで次の日はお金払いに行ったり書類書くのに一日ついやしてしまい、結局、まったく広報という広報ができないままに公示に突入してしまい、公示に入ると、メールやネットやツイッターなど、資金不足の人にはありがたいお知らせツールが法律で禁止されているためにまったく使えず、政治家になりたいなどと思ったこともなかったので当然ながら後援会などもなく、バイトを雇うお金もないから、実質、ほぼ友人と二人だけ+ランダムに訪れた学生ボランティアのみなさんなど、だけで、それで実質、使えたのは10日くらい。それでも1135人でしたので、これ、あと一週間あれば、なんとか供託金最低ラインはなっていたのではないかと思います。(つまり、あと200程度とどかずなんともならなかったわけです。)
でも、それにしても、ネットでの広報が法律で許されていれば、もう少し、なんとかなったはずです。そこはやはり悔しいです。(というか、そもそもそんなに間近になって出るなよ、という話なのですが、今回は、実は当初はデモをやる予定だったのです。同じタイミングで、仲間が原発と震災復興について立候補者に公開質問状を出したいのでそれについて選管に訊きにいく、というところから紆余曲折あって、結果として、公開質問状とデモをとりあえず保留にして立候補にしよう、ということになったのです。もちろん、こんな非常時でもなければ某氏もそのような無謀なことはしなかったでありましょう。しかし、今、日本存続の危機、くらいのときでみんな本当にそれどこじゃないのに、どの候補者もそれについていわないで何事もなかったかのように選挙決行するということにどうしても納得がいかなかったのです。)
供託金の話でひっかかってしまいましたが、その最低ラインというのは、つまり、リスク回避の話です。最終的には、出るからには勝たないとお話にならないので、過去の選挙のデータを見ると、だいたいの当確ラインがわかるはずです。それは、あまり変動しないようなので、一応、その数をそろえて、「会議に出席する権利」を勝ち取らなければなりません。(某氏の当確ラインは8000票くらいだったようです。)
そのために、申し込みが終わったら、その次になにをするか。ということで、次回は広報について書きたいと思います。
ntogn
2011年9月3日土曜日
次の投票について考える(1)
総理大臣が変わりました。そして、何もまだ始まっていないのに、すでに外国人献金問題などで新総理を叩く動きがあり、どうも解散総選挙になにがなんでも持っていきたい人たちがいるらしく、大震災に引き続く原発の大事故の収束もないのに、その総理が誰であろうと「総理である人」の個人攻撃に膨大な時間とエネルギーを浪費するこの国の政治に、一国民として悲しく情けない気持ちです。
・・・・・・などという感傷にひたっている時間は、どうやらなさそうです。
年内に解散総選挙やりたい動きがあるという説もありますので、そうなると、年末年始の時期に選挙ってことはたぶんないので、12月初旬くらいがねらい目なのでしょうか? 逆算すると、解散して選挙準備をして、ということにどう考えても一ヶ月以上は必要だと思うので、11月くらいには解散が流れになっていないとつじつまがあわない。すると、立候補者のアテは、10月には決まってないといけないのではないでしょうか?
ちょっと待って。とすると、もしかして、もう1ヶ月ちょいしか時間ないの?・・・・・・ということに、書き始めてみて改めて愕然とします。当然、次の選挙準備は、水面下で活発になっていることと想像します。
さて、もし、そうなってしまったら、どうするか。
総理でも議員でも首長でも、誰かがやめたら、必ず誰かがその席に座ります。総理にやめろというのなら、よりよい後継者が必要だし、首長をリコールするなら、次の首長を誰にするのか、少なくとも自分たちの中ではアテがついていないといけません。
そして、それはただの願望ではなく、実現可能でなければいけません。今回、たとえば次の総理として誰がよいかということが議論になったときに、あの人がいい、この人がいい、という意見はたしかによく見かけました。しかし、その多くは、それこそクーデターでも起きなければ実現不可能に近い、夢のような話でした。
野党の政治家を推したり、政権与党の候補者であってもさまざまな事情で現状では総理として国民が受け入れるのは到底無理であろうという政治家であったり、そもそも議員ですらない場合もありました。でも、無理なことを夢見ても仕方がないのです。もちろん、その人を総理にするためであったら命がけでクーデターを起こすことも辞さない、くらいの覚悟と用意があるのなら別ですが。
もっとも、仮に命を懸けたとしても、そういう夢は、基本、独裁政権でもない限り、すぐにかなうことはないはずです。仮に独裁政権国家であれば、武器を準備して軍隊を動かし、独裁者を引きずり下ろして議会場を占拠、指導者もすべて死刑か国外追放、利権集団は財産没収か投獄、それを実現するために法律すべてがらがらぽん、という芸当ができるかもしれません。しかし、今はフランス革命の時代ではなく、日本もそういうシステムになっていません。
ですから、今、私たちにできるのは、選挙権と被選挙権の駆使。地味ですが、これしかありません。そんなわけで、これから何回かにわたって、市民レベルで次の選挙や投票について考えてみませんか、ということを書いてみたいと思います。
まず、誰に入れるかを決めたいし、入れたい人がいなかったら、はやく探してこないと間に合わない。誰かが出てくるに違いないなんて、そんな奇跡、今まで起こったことありましたか? 黙って座っていれば理想の王子様が、お姫様が、「私を選んでください」と現れて杖を一振りして世の中を変えてくれるなんて、そんな夢物語は、この先も100%起こらないと、私は確信しています。
投票日が近くなってきてから、さてこの候補者は何を考えているのかな、などと調べ始める人がいますが、あれ、だめなんです。わかりにくい仕組みになっています。それは法律がそうなっているからなんですが、これに腹を立てて、どうせ政治家なんて自分の意見すら表明しない、だから選挙なんて誰に入れても同じなんて思ったらそれは違うと思います。
そういう、黙って待っていたら理想のお見合い相手があてがわれて、自分はイエスといえばいいだけ、なんて時代は、もう、とっくに終わりました。世の中変えたければ、自分で探しにいくしかありません。自分で探しにいくことすらしなかったくせに、実際に目の前に相手が現れると、この人はダメ、あの人はダメと文句をいう。文句をいう暇があったら立ち上がって探しにいくか、一人でやっていく決心をすればいいのです。
なお、それを書くにあたって、このブログから私の個人名を消しました。実は、この前、この非常時に選挙決行するということに心底、キレまして、県議選に立候補した経緯があるので、特定の政治家(私?私は政治家ではありません。)や選挙について言及する行為と受け取られたくないからです。
立候補を決意したのは公示の二日前の夕方。当然、なんの準備もない無謀な行為で、当然のことながら落選したのですが、おかげさまでいろいろと仕組みの裏が見えました。感想は、できるなら、もっと若い人たちがどんどん立候補すべきだし、それを応援できる機会があったらぜひやりたい、ということでした。
選挙には莫大なお金がかかる、政治家というのは特別な人がなるもの、などなど世間でいわれていることは、ウソではないかもしれませんが、真実かというと、そうでもありません。やってみてわかったのですが、選挙権の駆使と被選挙権の駆使は、基本的には、あまり変わらないことだと思います。投票にいくのと同じように、立候補も誰にでもできます。資格もいらない。学歴も経験も関係ない。試験があるわけでもない。よくも悪くも、誰でも選挙に立候補できる仕組みに、一応は、なっているのです。預けたお金も、ある程度の票が集まりさえすれば、返してもらえます。
ですから、急いで、次の選挙について知恵を絞って考えてはどうでしょう。「政治家」がダメだというのなら、政治家ではない人に、議員になってもらえばいいだけの話です。政治は政治家がやるもの、というのは、ただの思い込みです。政治家がダメだと文句をいうのではなく、市民が政治をやればいいだけの話です。たしかに投票率は低い。しかし、投票率が低いということは、いつでも結果はひっくりかえせるということでもあります。もちろん、市民が結束しさえすれば、ですが。
(つづく)
*上記は、年内に解散総選挙がある、という意味ではありません、念のため。
もしそうなってしまってもあわてないように準備しましょうね、という危機管理の話をしています。
・・・・・・などという感傷にひたっている時間は、どうやらなさそうです。
年内に解散総選挙やりたい動きがあるという説もありますので、そうなると、年末年始の時期に選挙ってことはたぶんないので、12月初旬くらいがねらい目なのでしょうか? 逆算すると、解散して選挙準備をして、ということにどう考えても一ヶ月以上は必要だと思うので、11月くらいには解散が流れになっていないとつじつまがあわない。すると、立候補者のアテは、10月には決まってないといけないのではないでしょうか?
ちょっと待って。とすると、もしかして、もう1ヶ月ちょいしか時間ないの?・・・・・・ということに、書き始めてみて改めて愕然とします。当然、次の選挙準備は、水面下で活発になっていることと想像します。
さて、もし、そうなってしまったら、どうするか。
総理でも議員でも首長でも、誰かがやめたら、必ず誰かがその席に座ります。総理にやめろというのなら、よりよい後継者が必要だし、首長をリコールするなら、次の首長を誰にするのか、少なくとも自分たちの中ではアテがついていないといけません。
そして、それはただの願望ではなく、実現可能でなければいけません。今回、たとえば次の総理として誰がよいかということが議論になったときに、あの人がいい、この人がいい、という意見はたしかによく見かけました。しかし、その多くは、それこそクーデターでも起きなければ実現不可能に近い、夢のような話でした。
野党の政治家を推したり、政権与党の候補者であってもさまざまな事情で現状では総理として国民が受け入れるのは到底無理であろうという政治家であったり、そもそも議員ですらない場合もありました。でも、無理なことを夢見ても仕方がないのです。もちろん、その人を総理にするためであったら命がけでクーデターを起こすことも辞さない、くらいの覚悟と用意があるのなら別ですが。
もっとも、仮に命を懸けたとしても、そういう夢は、基本、独裁政権でもない限り、すぐにかなうことはないはずです。仮に独裁政権国家であれば、武器を準備して軍隊を動かし、独裁者を引きずり下ろして議会場を占拠、指導者もすべて死刑か国外追放、利権集団は財産没収か投獄、それを実現するために法律すべてがらがらぽん、という芸当ができるかもしれません。しかし、今はフランス革命の時代ではなく、日本もそういうシステムになっていません。
ですから、今、私たちにできるのは、選挙権と被選挙権の駆使。地味ですが、これしかありません。そんなわけで、これから何回かにわたって、市民レベルで次の選挙や投票について考えてみませんか、ということを書いてみたいと思います。
まず、誰に入れるかを決めたいし、入れたい人がいなかったら、はやく探してこないと間に合わない。誰かが出てくるに違いないなんて、そんな奇跡、今まで起こったことありましたか? 黙って座っていれば理想の王子様が、お姫様が、「私を選んでください」と現れて杖を一振りして世の中を変えてくれるなんて、そんな夢物語は、この先も100%起こらないと、私は確信しています。
投票日が近くなってきてから、さてこの候補者は何を考えているのかな、などと調べ始める人がいますが、あれ、だめなんです。わかりにくい仕組みになっています。それは法律がそうなっているからなんですが、これに腹を立てて、どうせ政治家なんて自分の意見すら表明しない、だから選挙なんて誰に入れても同じなんて思ったらそれは違うと思います。
そういう、黙って待っていたら理想のお見合い相手があてがわれて、自分はイエスといえばいいだけ、なんて時代は、もう、とっくに終わりました。世の中変えたければ、自分で探しにいくしかありません。自分で探しにいくことすらしなかったくせに、実際に目の前に相手が現れると、この人はダメ、あの人はダメと文句をいう。文句をいう暇があったら立ち上がって探しにいくか、一人でやっていく決心をすればいいのです。
なお、それを書くにあたって、このブログから私の個人名を消しました。実は、この前、この非常時に選挙決行するということに心底、キレまして、県議選に立候補した経緯があるので、特定の政治家(私?私は政治家ではありません。)や選挙について言及する行為と受け取られたくないからです。
立候補を決意したのは公示の二日前の夕方。当然、なんの準備もない無謀な行為で、当然のことながら落選したのですが、おかげさまでいろいろと仕組みの裏が見えました。感想は、できるなら、もっと若い人たちがどんどん立候補すべきだし、それを応援できる機会があったらぜひやりたい、ということでした。
選挙には莫大なお金がかかる、政治家というのは特別な人がなるもの、などなど世間でいわれていることは、ウソではないかもしれませんが、真実かというと、そうでもありません。やってみてわかったのですが、選挙権の駆使と被選挙権の駆使は、基本的には、あまり変わらないことだと思います。投票にいくのと同じように、立候補も誰にでもできます。資格もいらない。学歴も経験も関係ない。試験があるわけでもない。よくも悪くも、誰でも選挙に立候補できる仕組みに、一応は、なっているのです。預けたお金も、ある程度の票が集まりさえすれば、返してもらえます。
ですから、急いで、次の選挙について知恵を絞って考えてはどうでしょう。「政治家」がダメだというのなら、政治家ではない人に、議員になってもらえばいいだけの話です。政治は政治家がやるもの、というのは、ただの思い込みです。政治家がダメだと文句をいうのではなく、市民が政治をやればいいだけの話です。たしかに投票率は低い。しかし、投票率が低いということは、いつでも結果はひっくりかえせるということでもあります。もちろん、市民が結束しさえすれば、ですが。
(つづく)
*上記は、年内に解散総選挙がある、という意味ではありません、念のため。
もしそうなってしまってもあわてないように準備しましょうね、という危機管理の話をしています。
2011年8月16日火曜日
なんのための脱原発か(「第三身分とは何か」シイエスを読みながら)
「第三身分とは何か」シイエス著を読んでいます(まだ途中です)。読みながら、頭の中の混線が解けていきます。
これは、フランス革命を目前にした時代の激動期に「世の中を変えた」名著だそうです。「上位二身分」として貴族や宗教界が、社会の富や決定権を独占していた時代に、大衆を「第三身分」として、「第三身分とは何か。すべてである。」といって、大衆こそが真の国家でありそれ以外は国民ではないという主張を展開しています。(展開しているところまでしかまだ読んでいません。)
自らの血統を「国王のために流す血」であるということでその世襲的特権の独占を正当化したことに、同じく当時の思想家であったセリエッティが「それでは、人民の血は、水だと言うのか」といった言葉を、シイエスが引用していた一文が、まずしっくりと腑に落ちました。
おかげさまでようやく、「なぜ」原発をやめなければいけないのかというループから開放されて、「なんのために」原発をやめなければいけないのかという原点が、とてもシンプルに整理されました。
なんでもそうですが、「なぜだめなのか(why )」という理由ももちろん必要なのですが、なによりも「なんのために(what for)」という目的なしには続きません。
こと、原発の廃絶などは、長い時間がかかることでしょうから、それまで自分が生きているのかもあやしいし、むしろここまで政治が混迷しているとさすがに嫌気もさしてきて、いっそ独立国でもつくるかとか、まあどうせこの先長くもないしとか、年取ってるから放射線感受性弱いよねーとか、子どもさえ海外にでも逃がせばまあいっか、とか、妊婦叩きのめしたり見張りたてて計画的に未成年集団強姦する大学生が罪逃れるような国でなにが脱原発だよとか、そんな国に執着するよりやっぱ欧州、いいよねーあーあの人に会いたいなあ・・・みたいなところに、ついつい、気持ちが逃げたがります。
でも、違う違う。そういうことじゃなかったのでした。やっぱり原発はやめないといけません。それは、自分が逃げるか逃げないかっていうこととぜんぜん関係なく。
私は、なんのために原発を否定しなければならないのか。
それは、私と同じ、私の息子と同じ、私の愛する誰かと同じ、一人の人間である誰かが、金の力をもって、命をけずる原発の清掃作業や事故処理に携わることなく原発を運転しつづけることは実際に不可能であって、つまり、原発の運転をたとえ消極的にでも容認するということは、私は、自らの安楽(たとえば日本の経済とか自分の仕事とか夏のエアコンとか)のために、誰か(それは、広い意味で私の息子でもあり愛する人であり)を、ゆっくりと、痛みと苦しみのなかで死んでいく道に追いやっているということに他ならないわけで、私は、それを絶対に、容認してはいけないからです。
それは、見知らぬ誰かではない、と私は思います。それは、見知らぬ誰かでもあるけれど、同時に私の息子でもある。そこにはなんら変わるものはないと思います。だから、原発で作業をしている人を思うとき、どこかの見知らぬ労働者ではなく、自分の身近な誰かを思い浮かべてそのうえでそれをやらせていいのか、そんなことをやらせなければ成り立たないような世の中で、それに加担して生きている自分で本当にいいのかを自らに問わないと、それは、どこか人として、嘘があると思います。
私は、私の息子が、原発で被曝して、長い時間をかけて体が蝕まれて、痛みと苦しみの中で死んでいくくらいだったら、まさに、自分が死んだほうがましです。それは、息子ではないかもしれませんが息子かも知れないし、私が死んでしまったずっと後に、それは私の孫かもしれない。そもそも血縁であるか、その人を知っているかどうかということは、重要な問題ではありません。自分の息子がやられて耐えられない残酷なことを、どうして他人なら容認できるのでしょうか。
つまり、私は、自分が被害者になるかもしれないから(線量が高いから、事故機から距離が近いから)、原発を止めなければいけないのではない。もちろん、それも怖いです。しかし、なによりも、ゆっくりとした目に見えない虐待とその末の殺人、人の命の重さを金で買って天秤にかける世の中の仕組みに組み込まれている自分をなんとかしないと、私は、自分の人生のつじつまがどうしてもあわない。
原発事故が収束しようと、線量が高かろうと低かろうと、日本の総理大臣が誰になろうと、たとえ日本という国そのものが存続しようとしまいと、自らが影響を受ける地域にいようといまいと、年をとって放射線の影響が現れるより前に死ぬことが明らかであろうと、たとえ海外に移住したとしても、逃げられても、逃げられなくても、その殺人の加害者になることを、私は生涯を通じて拒否し続けなければ、もう、生きることができません。それを見ないで(知らないで、知ろうとしないで)今まで生きてきてしまったわけですが、見えたらもう、さすがにこれ以上は無理です。
そこを中心に置いたら、あらゆる詭弁がどれほどばかげていることか。
海外か西日本に逃げればいいじゃないかとか、線量はそれほど高くないとか、直ちに健康に影響はないとか経済も大切だとか次の原発は安全だとか数学的な確率だとか。
どこに逃げたって、経済が回ったって、半減期になったって、毒を排出する魔法の薬が発明されたって、確率が五億分の一だって、その、愛する誰かを緩慢な死に追いやっている加害者でありつづけようとする自分から逃れることはできません。
原発のことは、人権のことだと思います。
誰かのほっぺたを金でたたいて毒の海にみんなで黙って突き落とす。自分は安全な場所にいる。あまり不愉快なものは見たくないので見ないようにしておく。その人が使えなくなったら、次の人を見つけてくる。自分がそれをやりたくないから、金(電気代)を払って、見知らぬ誰かに見えないところでやってもらう。金があるからいくらでも後釜はみつかります。そしてその人が使い物にならなくなったら捨てて次の人を配置します。それを、未来永劫やっていく。それが原発を推進したり、容認することであると、私は理解しています。時系列で考えれば、それはもちろん、今の自分たちの安楽のために、未来の子どもたちを犠牲にする行為です。そんなことが許されるわけがありません。
原発事故以来、カタカナの専門用語とか、ゼロが並んだ数字とか、安全なのかそうじゃないのかで声の大きさを競っている学者や政治家の攻防、マスコミの利権バイアスかかりまくりの放送(もう「報道」という言葉を使うのはさすがにやめました。)、チェルノブイリではどうだったかとか、気にしすぎのモンペアだとか、8月大地震説とか、EM菌とか波動とか、エキセントリックというよりも、むしろ子どもの喧嘩の台詞みたいな政治家たたきで、原発爆発したって放射性物質拡散したって、なんだ、普通に生活できてるし電気足りてるじゃん、たいしたことなかったわ、みたいな詭弁とか。
そういうことじゃない。
私たちには、自分と同じ誰かを、金の力で自分の手も汚さずに殺す権利なんてないし、たとえそんな権利を国が与えたとしても(今のところはそれに無理やり加担させられているわけですが)、それに甘んじていいはずがありません。
国なんて、最終的にはどうでもいい。地球上の多くの国が、生まれて、消えていきました。日本だって国が統一されたのはそれほど昔のことではありませんし、長い歴史の流れからみたら、今の状態だって過渡期なのかもしれません。
そんなことよりもなによりも、私たちは、やっぱり、殺してはいけない。
原発からの距離にも年齢にも線量にも事故の収束の度合いにも政治のどたばたにも政権にもまったく関係なく、私は、いつまでも、原発という集金装置を通した殺人への加担を拒否していきますし、それを達成するための仲間を求め続けます。
つまり、「脱原発のWhat for」 は、被害者になりたくない自分を守るためではなく、愛する人と同じ存在である誰かを殺すことをやめるためであったことを、昨日、この本を読み始めて、改めて思いだしたのでした。
og 20110816
2011年8月7日日曜日
よりよい食べ物をめぐる葛藤
秋の収穫シーズンが近づきました。
3.11の地震に引き続く原発事故の後、一時期、食料が一部、確保困難な時期があり、その後も、スーパーに行くたびに、ここに並んでいるものを、誰かと奪い合わなければならない恐怖が頭から離れず、買物にいくとよく、棚にものがなくなった風景を想像してしたりして暗澹たる気持ちになっていました。
その気持ちのなかには、たんに食料が入手しづらくなるのが怖いという以外に、なにかもっと奥底にある恐怖感があるようです。それがどこからきているのか、自分でもよくわからなかったのですが、その感覚を獲得した瞬間というか、ルーツが、先日、わかりました。
百貨店の食料品売り場で清涼飲料コーナーで海外ブランドの100%ジュースの瓶を見たとたんに、30年前のある日の記憶がフラッシュバックしたのです。
当時、音楽学生としてオーストリアのウィーンに留学中だった私は、当時まだ東西で別れていた旧東ドイツのライプツィヒで音楽コンクールがあったので、参加者として出かけていきました。
30年前の東と西の格差は大きく、経済的にも段違いで、シェパードを従えて機関銃を持った警備兵で厳重に警戒されている国境を越えて東ドイツに移動すると、そこは、食べ物も違う、空気も違う(排気ガスの規制などが違ったのだと思います)、売られているものも違う(そもそも食料があまり売られていない慢性的な物不足の)、別世界でした。
野菜なども乏しくて、一週間くらいいただけで、飢餓感がつのってきます。食べ物の量は足りていても栄養が偏っていたせいだと思います。果物とか、野菜とか、そういうものが恋しくなりました。
それで、免税店にいくことにしました。町には売られていなくても、外国人だけがパスポートを示して入店を許されるその店には、チョコレートでも、100%の果物のジュースでも、なんでもそろっているのです。外貨獲得策で、お金(外貨)を出せば、いくら物不足の国でも、ある程度は自由にものが買えるというわけです。
当時、社会問題に関心が無かった私は、とくに疑問も持たず、免税店で『グラニーニ』ブランドの100%オレンジジュースを買って、ジュースの瓶を裸のままで手に持って、伴奏者と一緒に、近くの公園に向かいました。
そのとき、公園で噴水に向かう道すがら、先生に引率されたおそらく小学校低学年くらいの子どもたちの一行とすれ違ったのですが、その子どもたちがこちらを指差して、口々に「グラニーニ、グラニーニ!」といったのです。
一瞬、なにをいわれているのかわからなかったのですが、すぐにそのジュースが当時の東では珍しい高級品であることや、そういったものが現地の人たちには入手できないものなのだということに思い当たりました。
それに気づいたときの気まずさ、罪悪感。恥ずかしさ。ああ、こういう子どもたちの手からよりよい食べ物を奪いながら日々栄養足りてる自分。たかだか10日くらいも我慢できずに免税店で100%ジュースを買わずにいられない自分の弱さと情けなさ。そして数日後にはまた西に戻って、豊富な食べ物を買い放題の生活に戻るというこの格差と傲慢。
当時、まだ十代で、日本と欧州しか知らず、他より優れることしか頭になく、学生寮の地下にこもって1日に6時間から8時間もひたすら練習ばかりしていた私が、はじめて社会の中で、他のより弱い人から日々、あらゆるものを奪い続けて生きている自分を、実体験によって自覚した瞬間でありました。
その記憶は風化することなく30年も持ち越されてきて、それが、スーパーで海外ブランドの100%のジュースを目にした瞬間にフラッシュバックしたのです。
その記憶は風化することなく30年も持ち越されてきて、それが、スーパーで海外ブランドの100%のジュースを目にした瞬間にフラッシュバックしたのです。
うろたえた私は、そのまま何も買わずにその場を去りました。
これから、より安全な食べ物をどう確保していくのかは、頭の痛い問題です。
誰だって、より安全で体によい食べ物を食べたい。私もそうですし、子どもに食べさせるときにはなおのことです。
そこで、自分たちの安全を確保したいという本能と、どのようにして、安全な食べ物をシェアしていくのかの折り合いをつけていくのかは、早めに考えて、本当に草の根レベルで小さなことから対策していかなければいけない問題だと思います。
それはたんに、安全な食べ物を確保するだけでは足りないと思います。それだけに任せてしまったら、ただの弱肉強食です。経済力と体力と、数の勝負になっていきます。より経済力のあるもの、より体力のあるもの、より健康なものが、必ず勝ちます。
しかしその競争に勝つことが無条件によいとは、やはり信じることができずにいます。
自分が安全な食べ物を得ることは、隣人から安全な食べ物を奪う行為と無関係では済まされません。だからといってじゃあ自分が犠牲になりますけっこうですというほど達観できているわけではないのですが、できうるならばやはり、できる限り分け合っていく仕組みをどうやってつくれるのかという悩みや痛みは捨てたくないのです。
具体的には共同購入とか、地域の生産者と連携してどうやってより安全な食べ物を確保するのかの方法を試みるとか、周辺でもいろいろな動きがありますし、自分自身もあがいています。
何が正しいのかは、まだわかりません。選択肢があるということは、正しい答えはないということなのではないかと思いますから、たぶん、間違えたこともたくさんやることになるとは思いますが、それでもなにもやらないでパワーゲームに任せるよりはマシなのではないかと思ったりします。日々、葛藤ではありますが。
これから収穫シーズンを向かえて汚染が明らかになってきたら、状況は厳しくなってくる可能性があります。そういう状況であればこそ、できそうなことは試みること、他者に働きかけること、排除しないこと、できるだけ対立せずに対話していくこと、情報を共有すること、できるだけ分け合いながら自分や子どもを含めたみんなにとってよりよい道をみんなで探していくこと。そういうことを諦めたくないと、改めて今、思っています。
20110807 og
2011年5月26日木曜日
『モンスターペアレント』という呪縛
学園ドラマで毎クール、延々と何十年にも渡って繰り返されているのが、熱血教師とモンスターペアレントの対決という構図である。
我が身を犠牲にして子どものことを思う熱血教師、モンスターペアレントの犠牲になって救いようもなく歪んでしまった不気味で哀れな子どもたち、子どもを自己満足の道具にするエゴの権化のような人格破たんした親たち。この構図はすでに古典になりつつあるようだ。
ところで私は、とくに3.11以来、なにかが完全に善であり、なにかが完全に悪であるという主張を見かけたら、そこには必ず嘘があり、なんらかの利益誘導がある可能性があると、考えることにしている。
そもそも、教師が常に善であり、親が常に悪であるという「鬼退治」物語が、なんの疑問も持たれることもなく、お茶の間で、その当の「モンスターペアレント」や「歪んだ子どもたち」に人気なのは、実に皮肉なことである。
もっとも、観ている私たちは「自分だけは」違うと思っている。だからこそ観て楽しめる。そして、だからこそ無意識に、「そんなとんでもない親」になってはいけないという抑圧ボタンが、強固に出来上がって私たちを縛るのである。
メーカーのアフターサービス部門で働いた経験から言うと、もちろん、すべての顧客が正しいことをいっているわけではない。なかには、お互いに笑ってしまうようなほほえましい誤解から生じた苦情もあるし、もちろん強烈で理不尽なクレームもある。
しかし、私は、いまだかつて、少なくともどこかの顧客サービスが、堂々と「モンスターカスタマー」などといって上から目線で顧客を罵倒して自らを美化するのを、見かけたことはないのである。
ときおりに理不尽な要求やクレームなどがあることは、すべての対人サービスにおいては、当然のことなのである。レストランしかり、クリーニング店しかり、乗り物しかり、販売業しかり。
だからといって、その一部の理不尽なクレームを、まるで顧客すべてが理不尽であるかのごとくのすり替えを行って、相手がなにか異議申し立てを行ったら、すぐにそれは「モンスター」であるというレッテル張りを行い、自らにも非があるかどうか検証するプロセスも第三者的な評価もなく相手を断罪するという理不尽さは、まさにこれこそモンスターだといわざるをえない。それは、異議申し立ての内容の検証を一方的に拒否し、相手を見下すことによって自らの正当性を主張する人権侵害の行為であり、まさにそれこそ、理不尽なのである。
その理不尽さに対する抵抗を一瞬で封じる魔法の言葉が『モンスターペアレント』である。
今、学校の現場で、給食、体育、子どもの扱いをめぐって、保護者が子どもの生命の安全を案じて学校に、文科省に、政府に、異議申し立てや改善の要求をしている。
権力は、「モンスター」という魔法を振り回せば、相手が黙ると思っているのかもしれない。そして、私たちもまた、どこかで「モンスター」だといわれるのではないか、どの線までが正当で、どこからがモンスターなのか、びくびくしながら相手の出方を探って焦燥感を強めている。
「モンスター」などという呪文に縛られることほど、ばかげたことはない。いったん、呪縛から逃れてしまえば、そんな呪文にはなんの力もないことがわかる。相手がどういうレッテルを張ろうと、理は理、命は命であり、それよりも重要なことなど、ない。
顧客サービスでは、内容を検証して、相手に理があれば賠償し、理がなければ説明する。そういう訓練を受ける。そしてその訓練は、組織の方針に基づいている。クレームは、十把一絡げのクレームではない。
相手に理がなければ、それを指摘して改善を求める。それは、当然の権利であり、クレームなどではないし、ましてやモンスターなどというレッテル張りに従う必要などまったくない。きちんとした組織なら、苦情を検証して相手に理があれば改善する。民間の組織では、あたりまえのように行われている日常的な行為である。それができないのであれば、問題は苦情を言う側にあるのではなく、受ける側にある。
我が身を犠牲にして子どものことを思う熱血教師、モンスターペアレントの犠牲になって救いようもなく歪んでしまった不気味で哀れな子どもたち、子どもを自己満足の道具にするエゴの権化のような人格破たんした親たち。この構図はすでに古典になりつつあるようだ。
ところで私は、とくに3.11以来、なにかが完全に善であり、なにかが完全に悪であるという主張を見かけたら、そこには必ず嘘があり、なんらかの利益誘導がある可能性があると、考えることにしている。
そもそも、教師が常に善であり、親が常に悪であるという「鬼退治」物語が、なんの疑問も持たれることもなく、お茶の間で、その当の「モンスターペアレント」や「歪んだ子どもたち」に人気なのは、実に皮肉なことである。
もっとも、観ている私たちは「自分だけは」違うと思っている。だからこそ観て楽しめる。そして、だからこそ無意識に、「そんなとんでもない親」になってはいけないという抑圧ボタンが、強固に出来上がって私たちを縛るのである。
メーカーのアフターサービス部門で働いた経験から言うと、もちろん、すべての顧客が正しいことをいっているわけではない。なかには、お互いに笑ってしまうようなほほえましい誤解から生じた苦情もあるし、もちろん強烈で理不尽なクレームもある。
しかし、私は、いまだかつて、少なくともどこかの顧客サービスが、堂々と「モンスターカスタマー」などといって上から目線で顧客を罵倒して自らを美化するのを、見かけたことはないのである。
ときおりに理不尽な要求やクレームなどがあることは、すべての対人サービスにおいては、当然のことなのである。レストランしかり、クリーニング店しかり、乗り物しかり、販売業しかり。
だからといって、その一部の理不尽なクレームを、まるで顧客すべてが理不尽であるかのごとくのすり替えを行って、相手がなにか異議申し立てを行ったら、すぐにそれは「モンスター」であるというレッテル張りを行い、自らにも非があるかどうか検証するプロセスも第三者的な評価もなく相手を断罪するという理不尽さは、まさにこれこそモンスターだといわざるをえない。それは、異議申し立ての内容の検証を一方的に拒否し、相手を見下すことによって自らの正当性を主張する人権侵害の行為であり、まさにそれこそ、理不尽なのである。
その理不尽さに対する抵抗を一瞬で封じる魔法の言葉が『モンスターペアレント』である。
今、学校の現場で、給食、体育、子どもの扱いをめぐって、保護者が子どもの生命の安全を案じて学校に、文科省に、政府に、異議申し立てや改善の要求をしている。
権力は、「モンスター」という魔法を振り回せば、相手が黙ると思っているのかもしれない。そして、私たちもまた、どこかで「モンスター」だといわれるのではないか、どの線までが正当で、どこからがモンスターなのか、びくびくしながら相手の出方を探って焦燥感を強めている。
「モンスター」などという呪文に縛られることほど、ばかげたことはない。いったん、呪縛から逃れてしまえば、そんな呪文にはなんの力もないことがわかる。相手がどういうレッテルを張ろうと、理は理、命は命であり、それよりも重要なことなど、ない。
顧客サービスでは、内容を検証して、相手に理があれば賠償し、理がなければ説明する。そういう訓練を受ける。そしてその訓練は、組織の方針に基づいている。クレームは、十把一絡げのクレームではない。
相手に理がなければ、それを指摘して改善を求める。それは、当然の権利であり、クレームなどではないし、ましてやモンスターなどというレッテル張りに従う必要などまったくない。きちんとした組織なら、苦情を検証して相手に理があれば改善する。民間の組織では、あたりまえのように行われている日常的な行為である。それができないのであれば、問題は苦情を言う側にあるのではなく、受ける側にある。
2011年5月24日火曜日
『風評被害』について考える
原発事故直後から風評被害がいわれはじめ、最初は私も、現場が混乱しているからだと思っていました。しかし、測定をしない、産地をあいまいにするなど、明らかに意図的な実態隠しを疑わせる情報が入ってくるようになり、改めて、このことを整理してみることにしました。
風評被害とはなんぞやと素直に考えると、根拠のないうわさ話などによって誤解が生じ、それによって消費者の購買行動などが影響を受けて、あるものが売れなくなるようなことがイメージされます。たとえば、オーストラリア(コアラのいるところ)で地震がおきてしばらくは渡航しないほうがいいといったようなことが起きた時に、たんに国名の音が似ているオーストリア(ヨーロッパの)への観光客が減ったとしたら、これは風評被害といえると思います。まったく関係がないのにとばっちりを受けた。これが風評被害でしょう。
では、今の日本でいわれている「風評被害」がこのような「とばっちり」にあたるかというと、そんなはずはないのは明らかです。実際に放射性物質が拡散しているという事実に基づいていて、その健康被害等の甚大な影響もまた過去の事例等から報告されていて、その放射性物質が入っている可能性がより高い食品等を避けるとしたら、それは消費者側から見ればたんなる「危険回避」です。
これが風評被害だというのなら、生肉を出して食中毒を出したチェーン焼肉屋の他店舗の売り上げが下がるのも風評被害でしょうか? 地盤沈下を起こした住宅団地の家が売れなくなるのも風評被害でしょうか? 過去に公約を破った政治家が選挙に落ちるのも風評被害でしょうか?
ごまかしてはいけません。原発が爆発した。放射性物質が拡散し続けている。それは紛れもない事実で、その放射性物質が日本中で計測されている。これらは事実であってうわさ話や誤解、嘘ではありません。事実に基づいて危険性を判断して回避するのは、生き物として当然の権利です。それはまさに、生きる権利そのものです。
今、マスコミが風評被害という言葉を乱発し、行政機関までがそのような言葉でごまかしを拡散していますが、それこそが、私たちが受けている根拠のない安全神話による風評被害です。それは、実際に数年後に、健康被害という目に見える実害として表面化する可能性があります。
そもそも、被害だというのなら、加害があるはずです。では、今、世間でいわれている風評被害を引きおこしている「加害者」は、いったい誰だというのでしょうか?
テレビが、新聞が、医療機関が、学校が、企業が、行政が、国が、風評被害だといって危険性のあるものを「無知な市民に」食べさせようというキャンペーンをはったら、そのすべては記録され、数年後にきちんとその「安全風評の実害」の責任をとってもらわなければなりません。あの時はあのときだったなどという言い訳を許してはいけない。わからないことを断言するのはデマです。知らないことは知らない、わからないことはわからないといわなければいけない。間違ったことをいったのなら訂正しなければならない。わかりもしないことをわかったようなことをいって、間違ったことをいったのをごまかして上塗りをして、それよって市民の、子どもたちの健康被害を招いたら、あのときはわからなかったでは済まされません。
ですから、様々なところで出される「安全です系」の書面などは、すべて日付をメモして取っておいた方がよいと思います。また、役所や行政機関に電話をかけて安全だと応える人がいたら、日付と担当部署(部・課・担当)とフルネームを必ず聞いて、内容と一緒に記録しておきます。きちんと責任の所在を明らかにしていく。それが行政とのやりとりの仕方のコツです。
また、それらの作物などを消費することが被災地を支援するかのごとくのキャンペーンが行われていますが、風評被害だというレッテル貼りは、実害による被害弁償を難しくさせる危険性があると思います。
風評ではなく実害であれば、きちんと賠償責任を求めなくてはなりません。ところが、風評による被害だと決めつけてしまえば、誰も責任を取らなくていいという話しになります。風評には責任の所在がないからです。
政治家などが風評被害のアピールをしたとしたら、それは、行政による被害弁償の責任逃れである可能性があります。実際、原発の立地などには行政が許可を出しているわけで、当然、政策的な誘致などがあったはずで、放射性物質拡散による農産物等被害が生じたとしたら、それは行政にもおおいに責任があるはずです。もちろん、それを決議してきた議員のみなさんにも責任があります。それはきちんと責任の所在を明らかにしたうえで責任をとってもらわないといけません。そのためには、あいまいな「風評被害」などという言葉でごまかされないことが重要だと思います。
風評被害とはなんぞやと素直に考えると、根拠のないうわさ話などによって誤解が生じ、それによって消費者の購買行動などが影響を受けて、あるものが売れなくなるようなことがイメージされます。たとえば、オーストラリア(コアラのいるところ)で地震がおきてしばらくは渡航しないほうがいいといったようなことが起きた時に、たんに国名の音が似ているオーストリア(ヨーロッパの)への観光客が減ったとしたら、これは風評被害といえると思います。まったく関係がないのにとばっちりを受けた。これが風評被害でしょう。
では、今の日本でいわれている「風評被害」がこのような「とばっちり」にあたるかというと、そんなはずはないのは明らかです。実際に放射性物質が拡散しているという事実に基づいていて、その健康被害等の甚大な影響もまた過去の事例等から報告されていて、その放射性物質が入っている可能性がより高い食品等を避けるとしたら、それは消費者側から見ればたんなる「危険回避」です。
これが風評被害だというのなら、生肉を出して食中毒を出したチェーン焼肉屋の他店舗の売り上げが下がるのも風評被害でしょうか? 地盤沈下を起こした住宅団地の家が売れなくなるのも風評被害でしょうか? 過去に公約を破った政治家が選挙に落ちるのも風評被害でしょうか?
ごまかしてはいけません。原発が爆発した。放射性物質が拡散し続けている。それは紛れもない事実で、その放射性物質が日本中で計測されている。これらは事実であってうわさ話や誤解、嘘ではありません。事実に基づいて危険性を判断して回避するのは、生き物として当然の権利です。それはまさに、生きる権利そのものです。
今、マスコミが風評被害という言葉を乱発し、行政機関までがそのような言葉でごまかしを拡散していますが、それこそが、私たちが受けている根拠のない安全神話による風評被害です。それは、実際に数年後に、健康被害という目に見える実害として表面化する可能性があります。
そもそも、被害だというのなら、加害があるはずです。では、今、世間でいわれている風評被害を引きおこしている「加害者」は、いったい誰だというのでしょうか?
テレビが、新聞が、医療機関が、学校が、企業が、行政が、国が、風評被害だといって危険性のあるものを「無知な市民に」食べさせようというキャンペーンをはったら、そのすべては記録され、数年後にきちんとその「安全風評の実害」の責任をとってもらわなければなりません。あの時はあのときだったなどという言い訳を許してはいけない。わからないことを断言するのはデマです。知らないことは知らない、わからないことはわからないといわなければいけない。間違ったことをいったのなら訂正しなければならない。わかりもしないことをわかったようなことをいって、間違ったことをいったのをごまかして上塗りをして、それよって市民の、子どもたちの健康被害を招いたら、あのときはわからなかったでは済まされません。
ですから、様々なところで出される「安全です系」の書面などは、すべて日付をメモして取っておいた方がよいと思います。また、役所や行政機関に電話をかけて安全だと応える人がいたら、日付と担当部署(部・課・担当)とフルネームを必ず聞いて、内容と一緒に記録しておきます。きちんと責任の所在を明らかにしていく。それが行政とのやりとりの仕方のコツです。
また、それらの作物などを消費することが被災地を支援するかのごとくのキャンペーンが行われていますが、風評被害だというレッテル貼りは、実害による被害弁償を難しくさせる危険性があると思います。
風評ではなく実害であれば、きちんと賠償責任を求めなくてはなりません。ところが、風評による被害だと決めつけてしまえば、誰も責任を取らなくていいという話しになります。風評には責任の所在がないからです。
政治家などが風評被害のアピールをしたとしたら、それは、行政による被害弁償の責任逃れである可能性があります。実際、原発の立地などには行政が許可を出しているわけで、当然、政策的な誘致などがあったはずで、放射性物質拡散による農産物等被害が生じたとしたら、それは行政にもおおいに責任があるはずです。もちろん、それを決議してきた議員のみなさんにも責任があります。それはきちんと責任の所在を明らかにしたうえで責任をとってもらわないといけません。そのためには、あいまいな「風評被害」などという言葉でごまかされないことが重要だと思います。
2011年5月23日月曜日
『逃げる』について考える
逃げるべきか逃げざるべきか。同じことを前に書きました。
http://d.hatena.ne.jp/shinsaigo/20110412/1302565889
ブログ投稿の日付を見ると4月12日。もう、一カ月以上も前のことだったのかとふりかえると、今の状況が一カ月以上経っていまだ根本的な改善がないどころか、むしろ悪化しているようであり、その中で、私たちみんなが、あのボロボロの廃屋から拡散し続ける放射性物質に囲まれて日々の生活を送りながら、それを「なかったこと」のようにふるまいながら暮らす他になすすべもなく、これからの台風シーズンを前に、まさにゆでガエル状態に陥っているのだという残念な事実を自覚せざるをえません。
前にも書いたのですが、私は以前、民主党のホームページのご意見欄から、内閣総理大臣菅直人氏宛てに嘆願書を送っています。その後、いまはとにかく、必死に手立てを講じてくれているのだと信じ、とにかく今はその日がくるまで待とうと覚悟を決めたのでした。
「その日」というのは、つまり、自分たち日本に住んでいる人たちが、もちろん一度に、ということではないにしても、年齢などを考慮しながら順次、海外などに可能な限り一時的あるいは移民として避難することが可能となる日、ということです。
以下に、その文の全文をコピーしました。(2011年3月16日付)
________________________________________________
原子力発電所事故に関連した国民の国外退避に関する嘆願について
私は、栃木県宇都宮市に住む14歳の子どもの母親(46歳)で、チェルノブイリの原発事故の時に、オーストリアのウイーンに住んでいました。チェルノブイリの事故が起きた当時のソヴィエトの、広大な.国土の片隅で起きた(災害などと連動していない平時の)事故は、世界を震撼させました。そして、数年に渡ってヨーロッパ全土で被爆が強く懸念され、ヨーロッパ中、むしろ全世界が被爆に対する危機感を共有していました。その広域的な影響は甚大なもので、鮮明に記憶に刻まれています。
そして、同レベルの事故に発展しかねない今回の福島第一原発事故の危機にある日本にいて、当時のソヴィエトの広大な国土、ヨーロッパ全体のスケールと比較すると、日本の国土はあまりにも小さいのです。中国からの黄砂を心配しなければならないような日本で、20キロ、30キロのレベルで核被爆を議論することは、果たして現実的なことなのでしょうか。
この小さな国土にいる私たち日本国民は、今、おそらく全員が、被爆の危機にさらされています。そして、このような事態に至っても、子どもたちは、被爆の危険性がある中を、学校に通っています。
国外の友人たちからは、刻一刻と変化する情勢のなかで、早く決断して国外退避せよと、立てつづけに連絡が入っています。それが、私たち日本の、世界から見た客観的な状況です。
今回は、災害被災があまりにも甚大であったため、世間では、原子力発電所の事故は、災害に付随するものと受け止められているふしがありますが、災害被災と原子力発電所の事故は、ことここにいたっては、まったく別個の問題として考え、対応すべきではないでしょうか。私たちは今まさに最悪の被爆危機の真っただ中で日々の生活を送っています。これは過去ではなく、現在、進行中のできごとです。
私は母として、また、世界で唯一の被爆国の国民の一人として、今までそのことについて行動してこなかった自らを恥じています。
しかし、責任の追及や今後の課題を検討する時期は、おそらくもっと後にくることでしょう。今は、ただ、私は自分の子どもを含む、日本の未来を担う子どもたち、そして私たちみんなを、被爆の危機から救っていただきたいだけです。未来に後悔を残さないためにも、一刻も早い対応が今、必要であり、それができるのは内閣総理大臣だけです。ことが安全に終結する可能性ももちろんあると思いますが、そうではない可能性もゼロではありません。希望的観測などなんの役にもたたないことを、私たちは学んだばかりです。何ごともなく済めば、十年後に笑いながら苦労話を語りあえばよいだけです。
以下に、内閣総理大臣への具体的なお願いを書きました。どうぞよろしくお願いいたします。
2011年3月16日
氏名・住所・連絡先
日本国内閣総理大臣菅直人様、
嘆願書
以下について、一刻も早い対応をとられますよう嘆願いたします。
1.被爆の危険を最小限にとどめるために日本全体に自宅待機を命令してください。
2.国民と在住者が一時的に国外退避できるように各国に協力を要請し、国外に一時避難させる手立てを講じてください。
3.日本国民および在住者が核被爆難民として国外に受け入れられるようにしてください。
4.日本国民および在住者が緊急避難に際してすみやかに移動できる手段を講じてください。
以上
_(送付文書終わり)____________________________
私は、当初から基本的に日本の中で移動するだけでは間に合わないので、海外にも(とくに乳幼児や妊婦など)一時的にであってもよいので避難させるべきだと考えていました。しかし、よほどの経済力がない限りは、海外にいっても滞在許可には期限がありますし、外国人は労働も自由にできないので長期滞在は困難ですので、やはりそこは、国が海外と交渉しないと個別対応では解決にならないと思いました。また、若いころに海外で暮らした経験からも、やはり一人で逃げるのではなく、みんなで(集団で)逃げたほうが生存率が高そうだ、とも思っていました。これを書いた当時は、事故の全容が明らかになっておらず(もっとも今も明らかにはなっていませんが)、テレビは津波の映像一色でという時期でした。もともとは、これをもとに署名活動を行ってから送ろうと思っていたのですが、最終的には直接、民主党のホームページから送りました。
これを書いたとき、海外の友人からはさっさと決断して逃げて来いとメールが次々と届いていて、正直、私もそうすべきか迷いましたし、それは今にいたるまで、常に選択肢のひとつとして捨ててはいません。しかし、国による避難措置がとられればそれが一番よいわけで、なにより、数年前から自殺のことに関わってきた経験からも、生き残りには生き残りのつらさがあることも承知していたので、やはりみんなで一緒に生き延びる道を選びたい、それが可能になるまで今いる場所で働きかけを行っていこうと、このメールを送った時に決めたのです。
しかし、それから二カ月以上が経った今、結局、そのような政府による行動は行われなかったし、福島から他地域への移動すら十分に支援されていないという事実を前にしては、おそらくこれからも行われることはないであろうということは、残念ながら、事実として受け止めざるをえません。
逃げるということを考えると、親しい人や仲間、お世話になった人、今まで築き上げてきた人や地域との関係など、失うものの大きさに立ちすくみます。現実的な話しであれば、じゃあ、この荷物はどうするのかとか、仕事はどうするのかとか、子どもの学校は友だちは、など、生活というものがいかに多くの人やことがら、ものとの関係性の中で成り立っているのかが改めてわかり、それを捨て去ることのエネルギーの膨大さに、茫然としてしまいます。そんなエネルギーがとても、わかない。時間もない。どうしたらいいのかわからない。
しかし、そんな膨大なエネルギーを費やし、多くのものを失ってもなお、やはり生き物としては逃げざるをえない場合があると思いますし、その決断を、私自身も毎日、迫られ続けています。
今、原発のことに関連して一緒に活動している仲間がいるのですが、仲間が逃げることになったら全力で応援し(だってそれはここが危ないということですから)、そこで足場を固めて、順次、こちらからも呼んでもらおうかと思っていますし、仲間ともそういう話しをしています。
いっせいのタイミングで逃げるのは政府などによる強制避難でもない限りまず難しいし、まっさらの未知の土地に移住するよりは、仲間がいる土地に移住したほうが、おそらくはるかに地域になじみやすいと思います。いっそ、誰か代表を立てて先に移住してもらって受け入れ態勢を整えてもらって順次移住する、くらいのことはやってもいいのかもしれないと、最近は考えるようになってきています。
http://d.hatena.ne.jp/shinsaigo/20110412/1302565889
ブログ投稿の日付を見ると4月12日。もう、一カ月以上も前のことだったのかとふりかえると、今の状況が一カ月以上経っていまだ根本的な改善がないどころか、むしろ悪化しているようであり、その中で、私たちみんなが、あのボロボロの廃屋から拡散し続ける放射性物質に囲まれて日々の生活を送りながら、それを「なかったこと」のようにふるまいながら暮らす他になすすべもなく、これからの台風シーズンを前に、まさにゆでガエル状態に陥っているのだという残念な事実を自覚せざるをえません。
前にも書いたのですが、私は以前、民主党のホームページのご意見欄から、内閣総理大臣菅直人氏宛てに嘆願書を送っています。その後、いまはとにかく、必死に手立てを講じてくれているのだと信じ、とにかく今はその日がくるまで待とうと覚悟を決めたのでした。
「その日」というのは、つまり、自分たち日本に住んでいる人たちが、もちろん一度に、ということではないにしても、年齢などを考慮しながら順次、海外などに可能な限り一時的あるいは移民として避難することが可能となる日、ということです。
以下に、その文の全文をコピーしました。(2011年3月16日付)
________________________________________________
原子力発電所事故に関連した国民の国外退避に関する嘆願について
私は、栃木県宇都宮市に住む14歳の子どもの母親(46歳)で、チェルノブイリの原発事故の時に、オーストリアのウイーンに住んでいました。チェルノブイリの事故が起きた当時のソヴィエトの、広大な.国土の片隅で起きた(災害などと連動していない平時の)事故は、世界を震撼させました。そして、数年に渡ってヨーロッパ全土で被爆が強く懸念され、ヨーロッパ中、むしろ全世界が被爆に対する危機感を共有していました。その広域的な影響は甚大なもので、鮮明に記憶に刻まれています。
そして、同レベルの事故に発展しかねない今回の福島第一原発事故の危機にある日本にいて、当時のソヴィエトの広大な国土、ヨーロッパ全体のスケールと比較すると、日本の国土はあまりにも小さいのです。中国からの黄砂を心配しなければならないような日本で、20キロ、30キロのレベルで核被爆を議論することは、果たして現実的なことなのでしょうか。
この小さな国土にいる私たち日本国民は、今、おそらく全員が、被爆の危機にさらされています。そして、このような事態に至っても、子どもたちは、被爆の危険性がある中を、学校に通っています。
国外の友人たちからは、刻一刻と変化する情勢のなかで、早く決断して国外退避せよと、立てつづけに連絡が入っています。それが、私たち日本の、世界から見た客観的な状況です。
今回は、災害被災があまりにも甚大であったため、世間では、原子力発電所の事故は、災害に付随するものと受け止められているふしがありますが、災害被災と原子力発電所の事故は、ことここにいたっては、まったく別個の問題として考え、対応すべきではないでしょうか。私たちは今まさに最悪の被爆危機の真っただ中で日々の生活を送っています。これは過去ではなく、現在、進行中のできごとです。
私は母として、また、世界で唯一の被爆国の国民の一人として、今までそのことについて行動してこなかった自らを恥じています。
しかし、責任の追及や今後の課題を検討する時期は、おそらくもっと後にくることでしょう。今は、ただ、私は自分の子どもを含む、日本の未来を担う子どもたち、そして私たちみんなを、被爆の危機から救っていただきたいだけです。未来に後悔を残さないためにも、一刻も早い対応が今、必要であり、それができるのは内閣総理大臣だけです。ことが安全に終結する可能性ももちろんあると思いますが、そうではない可能性もゼロではありません。希望的観測などなんの役にもたたないことを、私たちは学んだばかりです。何ごともなく済めば、十年後に笑いながら苦労話を語りあえばよいだけです。
以下に、内閣総理大臣への具体的なお願いを書きました。どうぞよろしくお願いいたします。
2011年3月16日
氏名・住所・連絡先
日本国内閣総理大臣菅直人様、
嘆願書
以下について、一刻も早い対応をとられますよう嘆願いたします。
1.被爆の危険を最小限にとどめるために日本全体に自宅待機を命令してください。
2.国民と在住者が一時的に国外退避できるように各国に協力を要請し、国外に一時避難させる手立てを講じてください。
3.日本国民および在住者が核被爆難民として国外に受け入れられるようにしてください。
4.日本国民および在住者が緊急避難に際してすみやかに移動できる手段を講じてください。
以上
_(送付文書終わり)____________________________
私は、当初から基本的に日本の中で移動するだけでは間に合わないので、海外にも(とくに乳幼児や妊婦など)一時的にであってもよいので避難させるべきだと考えていました。しかし、よほどの経済力がない限りは、海外にいっても滞在許可には期限がありますし、外国人は労働も自由にできないので長期滞在は困難ですので、やはりそこは、国が海外と交渉しないと個別対応では解決にならないと思いました。また、若いころに海外で暮らした経験からも、やはり一人で逃げるのではなく、みんなで(集団で)逃げたほうが生存率が高そうだ、とも思っていました。これを書いた当時は、事故の全容が明らかになっておらず(もっとも今も明らかにはなっていませんが)、テレビは津波の映像一色でという時期でした。もともとは、これをもとに署名活動を行ってから送ろうと思っていたのですが、最終的には直接、民主党のホームページから送りました。
これを書いたとき、海外の友人からはさっさと決断して逃げて来いとメールが次々と届いていて、正直、私もそうすべきか迷いましたし、それは今にいたるまで、常に選択肢のひとつとして捨ててはいません。しかし、国による避難措置がとられればそれが一番よいわけで、なにより、数年前から自殺のことに関わってきた経験からも、生き残りには生き残りのつらさがあることも承知していたので、やはりみんなで一緒に生き延びる道を選びたい、それが可能になるまで今いる場所で働きかけを行っていこうと、このメールを送った時に決めたのです。
しかし、それから二カ月以上が経った今、結局、そのような政府による行動は行われなかったし、福島から他地域への移動すら十分に支援されていないという事実を前にしては、おそらくこれからも行われることはないであろうということは、残念ながら、事実として受け止めざるをえません。
逃げるということを考えると、親しい人や仲間、お世話になった人、今まで築き上げてきた人や地域との関係など、失うものの大きさに立ちすくみます。現実的な話しであれば、じゃあ、この荷物はどうするのかとか、仕事はどうするのかとか、子どもの学校は友だちは、など、生活というものがいかに多くの人やことがら、ものとの関係性の中で成り立っているのかが改めてわかり、それを捨て去ることのエネルギーの膨大さに、茫然としてしまいます。そんなエネルギーがとても、わかない。時間もない。どうしたらいいのかわからない。
しかし、そんな膨大なエネルギーを費やし、多くのものを失ってもなお、やはり生き物としては逃げざるをえない場合があると思いますし、その決断を、私自身も毎日、迫られ続けています。
今、原発のことに関連して一緒に活動している仲間がいるのですが、仲間が逃げることになったら全力で応援し(だってそれはここが危ないということですから)、そこで足場を固めて、順次、こちらからも呼んでもらおうかと思っていますし、仲間ともそういう話しをしています。
いっせいのタイミングで逃げるのは政府などによる強制避難でもない限りまず難しいし、まっさらの未知の土地に移住するよりは、仲間がいる土地に移住したほうが、おそらくはるかに地域になじみやすいと思います。いっそ、誰か代表を立てて先に移住してもらって受け入れ態勢を整えてもらって順次移住する、くらいのことはやってもいいのかもしれないと、最近は考えるようになってきています。
2011年5月21日土曜日
原発事故の健康被害の予見可能性について考える
今日、たちかぜ裁判の報告集会にいってきました。この裁判は、自殺した自衛隊員の遺族が自衛隊内でのいじめの責任を問うために起こしている裁判です。その詳細についてはまた別の機会にさらに調べてから書きます。今日、書きたいことは、そのケースについてではなく、集会で裁判の担当弁護士さんが裁判の争点として説明されていた『予見可能性』というキーワードと原発事故の関係について感じたことについてです。
今、福島では国による一般市民の20ミリシーベルト許容が大問題となっていて、加えて新たに、原子力安全委員会が、http://www.nsc.go.jp/info/20110520.htmlにあるように、100ミリシーベルトを容認するかのごとくの資料を出すにいたっており、いったいこんなにご都合主義的に安全基準を動かしたりあいまいにしたりすることにどんな意味があるのかということを考えた時、予見可能性というのはひとつの大きなキーワードなのだろうなというのが、今日、改めて自分の頭の中で整理されましたので、それについて書きます。
さて、いじめなどによる自殺の責任を問う裁判では、実際に加害行為を行った本人の責任が問われるのと同時に、組織の責任が問われます。今日の集会のテーマとなった自衛隊内でのいじめ(加害側は「いきすぎた指導」と表現しています)では、自衛隊にもまた、その管理責任が問われています。
そのような際に争点となるのが、その結果(自殺)は予見が可能であったのかどうか、ということのようです。つまり、たとえば加害行為があった場合、それによって自殺するということが、自殺したその人でなければ起こり得なかったような特殊なケースであるのか、あるいは、「そこまでやられたら誰だって死にたくなっても無理はない」通常のケースであるのか、ということらしいのです。今回は、原告は後者であると主張し、自衛隊側はその因果関係を否定しており、裁判所も予見可能性を否定してしまっています。
これを、今回の原発事故から引き起こされる健康被害の予見可能性という面から考えると、現状の放射線量や過去の(とくにチェルノブイリなどの)記録などから照らし合わせて、素人の私でもうすうすわかる(つまり、そうなるかもしれないと予見できる)ことは、おそらく、この先、数年経ったとき、放射能の被曝を原因とした白血病や癌などが増えるのではないかということです。
そうなったらおそらく、集団訴訟などによって、国や東京電力の責任が問われることになるでしょう。そして、その時に必ず因果関係が問われることになるはずですが、その際、「原告が癌や白血病などになることを、国は(東京電力は、原子力安全委員会は)予見し得たのかどうか」が争点になるのだろうなあ、と、集会での報告を聞きながら思いました。
癌や白血病の原因との因果関係を証明するのは、通常であれば非常に難しいのではないかと思います。しかし、今回のような場合、数年後に放射線量の高い地域に居住していた人が白血病や癌になったら、多くの人は、それが原発事故による放射性物質の拡散と因果関係があると思うでしょうし、それは、おそらくあたっている可能性がかなり高いのではないかと思います。
しかし、実際に裁判になったら、因果関係について改めて争われることになるでしょう。仮に、被告側がその責任を認めないということになると、その時には「その可能性が予見できたのかどうか」ということと、あわせて「それについて十分な措置を講じたのかどうか」が争点になってくるのではないかと想像します。(私は法律の専門家ではないので、間違っていたら指摘をお願いします。)
つまり、ポイントは、そうなるんじゃないかとわかっていたんですか、ということと、もうひとつ、じゃあ、それについてちゃんと対策をしたんですか、というおもに二点になるのではないか……。そう考えた時、今回の、原子力安全委員会の書面は、重要な意味をもつことになるのではないかと思いました。
仮に基準値を超えた地域の住民に対して必要な措置(避難を可能とさせること)を行わなかった場合、予見される結果に対して必要な措置をとらなかったということになれば、国や原子力安全委員会、東京電力な どの責任の所在は明らかになります。しかし、そこで基準値に達していなかった場合には、危険とされる基準値に達していないので、因果関係も不明であり、基 準値以下であったからには予見も困難であったので、とくに予防措置等を行う必要はなく、それを行わなかったとしても責任はない、という話しに持っていかれ るのではないでしょうか。
もちろん、こんなことは多くの人には最初からわかっていることだと思いますし、だからこそ、福島の親たちが20ミリシーベルトの撤回を求めて活動をしているのだと思います。それを私のつたない脳みそで、すとんと今後の流れと重ねて理解できたキーワードが、今日の「予見可能性」という言葉だったのでした。
福島の20ミリシーベルトを認めたら、日本全国の20ミリシーベルトを 否定する理由もなくなります。日本は小さな島です。今は他人事だと思っている地域でも、今後は徐々に、その影響が明らかになってくることでしょう。その時 にあわてても、いったん高い基準を受け入れてしまったら、なしくずしになります。そして、そのすでに非常識に高い値が、さらにそれ以上に引き上げられない という保証は、どこにもないのです。
もちろん、20ミリシーベルトを否定したからそれで終わりではないというのは明らかです。より低い値にしてそれで満足すべきではないという議論もよくわかります。
それについては引き続きやっていくとしても、しかし、責任の所在をあいまいにするようなことを、決して許してはいけないと思います。逃げないほうが悪いとか無責任とか、それはやはり、違うと思います。逃げられる環境をつくる責任が、政府には(東京電力には、原子力安全委員会には)あるはずです。
逃げないほうが悪いという論理は、壮絶ないじめにあっても、自殺する方が悪いんだという理屈と通じるところがあります。そんなにいじめられるのなら、学校をやめればよかった、会社をやめればよかった、自衛隊をやめればよかった――そういうことに話をまとめてはいけないと思います。
逃げない人が悪いのではない。逃げる環境をつくる責任は明らかに政府にあります。それが国というのものだと思います。それすらできないのでは、それは、すでに国とはいえません。
たちかぜ裁判を戦っている遺族が最後におっしゃっていました。国を相手に戦うというのはたいへんなことだ。三権分立が機能していない、と。
日本は、12年以上に渡って年間に3万人以上の人が自殺しているのに、それについて、うつ病(に気づかなかった本人や周囲)という自己責任論から一向に抜け出る気配なく、精神保健福祉中心による自殺対策を延々と続けている国です。膨大な国家予算が「本人や周囲の気づき」を促すために、毎年、費やされています。それはちょうど、「危ないと気がついて早く逃げて!」という呼びかけに、よく似ています。 そうやって、本人の自己責任にゆだねられ、結果として死にいたったら、それは「気づかなかった本人の責任」だとでもいうつもりでしょうか。
気づきや精神論では生活を変えることはできません。逃げられないには逃げられないだけの理由がある。それをなんとかすることこそが、国の役割です。福島の20ミリシーベルト問題は、国というもののあり方そのものを問う、私たちみんなの問題です。
今、福島では国による一般市民の20ミリシーベルト許容が大問題となっていて、加えて新たに、原子力安全委員会が、http://www.nsc.go.jp/info/20110520.htmlにあるように、100ミリシーベルトを容認するかのごとくの資料を出すにいたっており、いったいこんなにご都合主義的に安全基準を動かしたりあいまいにしたりすることにどんな意味があるのかということを考えた時、予見可能性というのはひとつの大きなキーワードなのだろうなというのが、今日、改めて自分の頭の中で整理されましたので、それについて書きます。
さて、いじめなどによる自殺の責任を問う裁判では、実際に加害行為を行った本人の責任が問われるのと同時に、組織の責任が問われます。今日の集会のテーマとなった自衛隊内でのいじめ(加害側は「いきすぎた指導」と表現しています)では、自衛隊にもまた、その管理責任が問われています。
そのような際に争点となるのが、その結果(自殺)は予見が可能であったのかどうか、ということのようです。つまり、たとえば加害行為があった場合、それによって自殺するということが、自殺したその人でなければ起こり得なかったような特殊なケースであるのか、あるいは、「そこまでやられたら誰だって死にたくなっても無理はない」通常のケースであるのか、ということらしいのです。今回は、原告は後者であると主張し、自衛隊側はその因果関係を否定しており、裁判所も予見可能性を否定してしまっています。
これを、今回の原発事故から引き起こされる健康被害の予見可能性という面から考えると、現状の放射線量や過去の(とくにチェルノブイリなどの)記録などから照らし合わせて、素人の私でもうすうすわかる(つまり、そうなるかもしれないと予見できる)ことは、おそらく、この先、数年経ったとき、放射能の被曝を原因とした白血病や癌などが増えるのではないかということです。
そうなったらおそらく、集団訴訟などによって、国や東京電力の責任が問われることになるでしょう。そして、その時に必ず因果関係が問われることになるはずですが、その際、「原告が癌や白血病などになることを、国は(東京電力は、原子力安全委員会は)予見し得たのかどうか」が争点になるのだろうなあ、と、集会での報告を聞きながら思いました。
癌や白血病の原因との因果関係を証明するのは、通常であれば非常に難しいのではないかと思います。しかし、今回のような場合、数年後に放射線量の高い地域に居住していた人が白血病や癌になったら、多くの人は、それが原発事故による放射性物質の拡散と因果関係があると思うでしょうし、それは、おそらくあたっている可能性がかなり高いのではないかと思います。
しかし、実際に裁判になったら、因果関係について改めて争われることになるでしょう。仮に、被告側がその責任を認めないということになると、その時には「その可能性が予見できたのかどうか」ということと、あわせて「それについて十分な措置を講じたのかどうか」が争点になってくるのではないかと想像します。(私は法律の専門家ではないので、間違っていたら指摘をお願いします。)
つまり、ポイントは、そうなるんじゃないかとわかっていたんですか、ということと、もうひとつ、じゃあ、それについてちゃんと対策をしたんですか、というおもに二点になるのではないか……。そう考えた時、今回の、原子力安全委員会の書面は、重要な意味をもつことになるのではないかと思いました。
仮に基準値を超えた地域の住民に対して必要な措置(避難を可能とさせること)を行わなかった場合、予見される結果に対して必要な措置をとらなかったということになれば、国や原子力安全委員会、東京電力な どの責任の所在は明らかになります。しかし、そこで基準値に達していなかった場合には、危険とされる基準値に達していないので、因果関係も不明であり、基 準値以下であったからには予見も困難であったので、とくに予防措置等を行う必要はなく、それを行わなかったとしても責任はない、という話しに持っていかれ るのではないでしょうか。
もちろん、こんなことは多くの人には最初からわかっていることだと思いますし、だからこそ、福島の親たちが20ミリシーベルトの撤回を求めて活動をしているのだと思います。それを私のつたない脳みそで、すとんと今後の流れと重ねて理解できたキーワードが、今日の「予見可能性」という言葉だったのでした。
福島の20ミリシーベルトを認めたら、日本全国の20ミリシーベルトを 否定する理由もなくなります。日本は小さな島です。今は他人事だと思っている地域でも、今後は徐々に、その影響が明らかになってくることでしょう。その時 にあわてても、いったん高い基準を受け入れてしまったら、なしくずしになります。そして、そのすでに非常識に高い値が、さらにそれ以上に引き上げられない という保証は、どこにもないのです。
もちろん、20ミリシーベルトを否定したからそれで終わりではないというのは明らかです。より低い値にしてそれで満足すべきではないという議論もよくわかります。
それについては引き続きやっていくとしても、しかし、責任の所在をあいまいにするようなことを、決して許してはいけないと思います。逃げないほうが悪いとか無責任とか、それはやはり、違うと思います。逃げられる環境をつくる責任が、政府には(東京電力には、原子力安全委員会には)あるはずです。
逃げないほうが悪いという論理は、壮絶ないじめにあっても、自殺する方が悪いんだという理屈と通じるところがあります。そんなにいじめられるのなら、学校をやめればよかった、会社をやめればよかった、自衛隊をやめればよかった――そういうことに話をまとめてはいけないと思います。
逃げない人が悪いのではない。逃げる環境をつくる責任は明らかに政府にあります。それが国というのものだと思います。それすらできないのでは、それは、すでに国とはいえません。
たちかぜ裁判を戦っている遺族が最後におっしゃっていました。国を相手に戦うというのはたいへんなことだ。三権分立が機能していない、と。
日本は、12年以上に渡って年間に3万人以上の人が自殺しているのに、それについて、うつ病(に気づかなかった本人や周囲)という自己責任論から一向に抜け出る気配なく、精神保健福祉中心による自殺対策を延々と続けている国です。膨大な国家予算が「本人や周囲の気づき」を促すために、毎年、費やされています。それはちょうど、「危ないと気がついて早く逃げて!」という呼びかけに、よく似ています。 そうやって、本人の自己責任にゆだねられ、結果として死にいたったら、それは「気づかなかった本人の責任」だとでもいうつもりでしょうか。
気づきや精神論では生活を変えることはできません。逃げられないには逃げられないだけの理由がある。それをなんとかすることこそが、国の役割です。福島の20ミリシーベルト問題は、国というもののあり方そのものを問う、私たちみんなの問題です。
2011年4月16日土曜日
自殺対策の政策転換の必要性について(1)
キャベツ農家の方がお亡くなりになりました。まず、ご遺族のみなさまに心よりお悔やみを申し上げます。
このことについて、一部に政治家批判の道具に使おうとする動きがあり、まさにその不謹慎さに非常に憤っています。
自殺は、なにかのプロバガンダに利用されるべきことがらではないと思います。
私たちがまず頭に置いておかなければならないのは、日本は、すでに12年以上に渡って、年間に3万人以上、つまり、毎日80人以上の方たちがが自殺によって自らの命を断っている社会であるということです。
それは、昨日までもそうだったし、今日もまたそうです。残念ながら明日もそうだと思います。そして、きちんとその事実を踏まえて対策をしていかないと、こ のような状況の中、非常に深刻な事態になっていく可能性があります。それは、政治家を叩くことによっては防ぐことはできません。今だからこそ、自殺対策を 含む政策そのものを転換しないと、このような事態は改善されないと思います。
前々から、そろそろ、日本のこれまでの自殺対策政策の失敗と政策転換の必要性を、誰かがいうべきだろうと思っていたのですが、どうもだれもいってくれる気配がないので、この際なので自分でいうことにしました。
実は前々からいいたくて喉から出かかっていたのですが、私は学者でも政治家でも政策や精神保健の専門家でもない。正直、それを証明するだけのネタも持って いない。そもそも、そういう論理的なことは、きちんと学者さんが調べて裏付け持ってきていうのが筋であろうと。まあ正直なところ、遠慮して我慢していたわ けです。
しかし、ことここに至っては、そんなことはもう、どうでもいいです。専門家が必ずあてになるわけではないということは、私は今回つくづく学びました。ですから、自分がいうべきだと思ったことをいうことにしました。
まず、私の立場と考えを明らかにします。
私は、2年前から自殺によって身近な人を亡くした遺族の支援システムをどう構築するか、という研究グループに参加しています。これは、親族などの自殺とい う、非常に危機的な出来事にあったときに、社会がその危機をどう支えていくのか、具体的な仕組みをつくることを目的とした市民有志によるグループです。
私たちの仲間には、NPO関係者や福祉関係の研究者、遺族、僧侶などが入っていますが、メンバーのうち誰が遺族でそうではないのかということは公表しない 方針です。そこを争点にしたくないことと、誰かひとりが遺族であるということを表明することによって、あの人は遺族、この人は遺族ではないという色分けを せざるをえなくなってくるからです。さらにいうと、マスコミにお涙ちょうだいのストーリーを提供したくないということもあります。マスコミは営利の企業で す。「悲しみを乗り越えて」などというストーリーには飛びつきます。売れるからです。個人的な物語をマスコミの営利追及のために提供する必要を、私たちは まったく感じていません。
それに、そういうことをしていると、社会的な仕組みになりません。私たちの目的は、突発的に起きた大きな危機に直面している人が、孤立せず、社会的に支えられる具体的な仕組みをつくることです。
これを踏まえて、以下は私・ntognの個人的な考えと主張です。(団体としての意見表明などではありません。)一度には書ききれないので、今後、時間をみつけて、少しずつ、自分の考えを書いていきます。
まず、日本の自殺対策政策は、客観的に見て成果を上げていないと思います。
今の日本の自殺対策は、啓蒙と精神保健福祉が中心です。具体的には、テレビなどを使った宣伝(例:「おとうさん、眠れてる?」)、啓発を目的としたシンポジウム等の開催、全国の傾聴ボランティア等への微々たる予算の配分などです。
そして、現在の「鬱病だから自殺する」という前提に基づく政策の方向性は、私は、間違っていると思っています。
日本の自殺対策は、政策の方向性が間違っていたということを素直に認めて、考え直し、新しい政策をつくり、そしてすみやかに実行する必要があると思います。
今までの「うつ病説」に基づいた啓蒙や傾聴、うつ病治療の促進オンリーから脱却し、経済、生活支援、労働、福祉などによる社会的な支え中心に転換し、具体的な手を打っていかないと、このような状況にあって、今後、非常に深刻なことになるのではないかと危惧しています。
「うつ病です」「だから周囲が気がついてあげれば自殺は防げます」というのは、自己責任論です。うつ病は、確かに自殺の原因のひとつであるかもしれません が、すべてではありません。一部をクローズアップすることによって、他にも必要とされる支援に目をつぶるのは、正しいやり方だとは思えません。
「自殺をするのは、本人がうつ病になったからである」→「したがってうつ病が治療されていれば自殺は起こらなかった」→「自殺したのは医者にいって適切な治療 をしなかったからだ」→「適切な治療を本人が受けるべきだった」→「本人が気づかないなら周囲が気づいていれば自殺は起こらなかった」→「自殺したのは気 づかなかった周囲のせいだ」→ループ、というわけですが、これは、果たして本当に正しいのでしょうか。
実際には、様々な理由が背景にあ るにも関わらず、それらの末に鬱状態になったという、いってみれば砂時計の最期のひとつぶにだけスポットライトをあてても、そこにいたった問題の解決には 結びつきません。また、仮にうつ病の治療を受けたとしても、その原因になったことがらが、自然と解消されるわけではないのです。その課題解決を含めて、社 会がいっしょにやっていくのだという方向性に自殺対策の政策転換をする必要があると思います。
なお、これから自殺がおこるたびに、おそらくメディアや政治関係者がそれを利用して自らの利益に結び付けようとする動きがありうるということを、私たち は覚悟しておかないといけません。そのような人の死を利用して自らの利益を得ようとする行為は、非常に不謹慎であり許されないことだと私は思っています。
私たちは、恣意的にメディアなどによって選ばれた年間3万件以上の中の一件を受け取っているだけで す。それは、事実の一部であるかもしれませんが、「真実」のすべてではありません。
(続く)
(2011年3月29日http://m-net.jugem.jp/に掲載したものをこちらに移動しました。)
このことについて、一部に政治家批判の道具に使おうとする動きがあり、まさにその不謹慎さに非常に憤っています。
自殺は、なにかのプロバガンダに利用されるべきことがらではないと思います。
私たちがまず頭に置いておかなければならないのは、日本は、すでに12年以上に渡って、年間に3万人以上、つまり、毎日80人以上の方たちがが自殺によって自らの命を断っている社会であるということです。
それは、昨日までもそうだったし、今日もまたそうです。残念ながら明日もそうだと思います。そして、きちんとその事実を踏まえて対策をしていかないと、こ のような状況の中、非常に深刻な事態になっていく可能性があります。それは、政治家を叩くことによっては防ぐことはできません。今だからこそ、自殺対策を 含む政策そのものを転換しないと、このような事態は改善されないと思います。
前々から、そろそろ、日本のこれまでの自殺対策政策の失敗と政策転換の必要性を、誰かがいうべきだろうと思っていたのですが、どうもだれもいってくれる気配がないので、この際なので自分でいうことにしました。
実は前々からいいたくて喉から出かかっていたのですが、私は学者でも政治家でも政策や精神保健の専門家でもない。正直、それを証明するだけのネタも持って いない。そもそも、そういう論理的なことは、きちんと学者さんが調べて裏付け持ってきていうのが筋であろうと。まあ正直なところ、遠慮して我慢していたわ けです。
しかし、ことここに至っては、そんなことはもう、どうでもいいです。専門家が必ずあてになるわけではないということは、私は今回つくづく学びました。ですから、自分がいうべきだと思ったことをいうことにしました。
まず、私の立場と考えを明らかにします。
私は、2年前から自殺によって身近な人を亡くした遺族の支援システムをどう構築するか、という研究グループに参加しています。これは、親族などの自殺とい う、非常に危機的な出来事にあったときに、社会がその危機をどう支えていくのか、具体的な仕組みをつくることを目的とした市民有志によるグループです。
私たちの仲間には、NPO関係者や福祉関係の研究者、遺族、僧侶などが入っていますが、メンバーのうち誰が遺族でそうではないのかということは公表しない 方針です。そこを争点にしたくないことと、誰かひとりが遺族であるということを表明することによって、あの人は遺族、この人は遺族ではないという色分けを せざるをえなくなってくるからです。さらにいうと、マスコミにお涙ちょうだいのストーリーを提供したくないということもあります。マスコミは営利の企業で す。「悲しみを乗り越えて」などというストーリーには飛びつきます。売れるからです。個人的な物語をマスコミの営利追及のために提供する必要を、私たちは まったく感じていません。
それに、そういうことをしていると、社会的な仕組みになりません。私たちの目的は、突発的に起きた大きな危機に直面している人が、孤立せず、社会的に支えられる具体的な仕組みをつくることです。
これを踏まえて、以下は私・ntognの個人的な考えと主張です。(団体としての意見表明などではありません。)一度には書ききれないので、今後、時間をみつけて、少しずつ、自分の考えを書いていきます。
まず、日本の自殺対策政策は、客観的に見て成果を上げていないと思います。
今の日本の自殺対策は、啓蒙と精神保健福祉が中心です。具体的には、テレビなどを使った宣伝(例:「おとうさん、眠れてる?」)、啓発を目的としたシンポジウム等の開催、全国の傾聴ボランティア等への微々たる予算の配分などです。
そして、現在の「鬱病だから自殺する」という前提に基づく政策の方向性は、私は、間違っていると思っています。
日本の自殺対策は、政策の方向性が間違っていたということを素直に認めて、考え直し、新しい政策をつくり、そしてすみやかに実行する必要があると思います。
今までの「うつ病説」に基づいた啓蒙や傾聴、うつ病治療の促進オンリーから脱却し、経済、生活支援、労働、福祉などによる社会的な支え中心に転換し、具体的な手を打っていかないと、このような状況にあって、今後、非常に深刻なことになるのではないかと危惧しています。
「うつ病です」「だから周囲が気がついてあげれば自殺は防げます」というのは、自己責任論です。うつ病は、確かに自殺の原因のひとつであるかもしれません が、すべてではありません。一部をクローズアップすることによって、他にも必要とされる支援に目をつぶるのは、正しいやり方だとは思えません。
「自殺をするのは、本人がうつ病になったからである」→「したがってうつ病が治療されていれば自殺は起こらなかった」→「自殺したのは医者にいって適切な治療 をしなかったからだ」→「適切な治療を本人が受けるべきだった」→「本人が気づかないなら周囲が気づいていれば自殺は起こらなかった」→「自殺したのは気 づかなかった周囲のせいだ」→ループ、というわけですが、これは、果たして本当に正しいのでしょうか。
実際には、様々な理由が背景にあ るにも関わらず、それらの末に鬱状態になったという、いってみれば砂時計の最期のひとつぶにだけスポットライトをあてても、そこにいたった問題の解決には 結びつきません。また、仮にうつ病の治療を受けたとしても、その原因になったことがらが、自然と解消されるわけではないのです。その課題解決を含めて、社 会がいっしょにやっていくのだという方向性に自殺対策の政策転換をする必要があると思います。
なお、これから自殺がおこるたびに、おそらくメディアや政治関係者がそれを利用して自らの利益に結び付けようとする動きがありうるということを、私たち は覚悟しておかないといけません。そのような人の死を利用して自らの利益を得ようとする行為は、非常に不謹慎であり許されないことだと私は思っています。
私たちは、恣意的にメディアなどによって選ばれた年間3万件以上の中の一件を受け取っているだけで す。それは、事実の一部であるかもしれませんが、「真実」のすべてではありません。
(続く)
(2011年3月29日http://m-net.jugem.jp/に掲載したものをこちらに移動しました。)
グリーフワークにどう関わるか
多くの方が家族や身近な人を亡くされたことに心よりお悔やみを申し上げます。
避難所や地域に、お身内を亡くされた方がいらっしゃったときに、どう接したらいいのかわからないというボランティアの方も多いのではないか。私ごときがいうことではないが、この非常時なので勘弁していただき、個人的に感じていることを率直に書こうと思う。
まず、グリーフワーク(死の悲嘆からの立ち直り作業)は本人しかできないので、求められるまで押しつけないでほしいということ。周囲の人間が、求められも しないのに手出し口出しをするべきことがらではなく、サポートが必要な場合は、本人がその時期と種類を選ぶ権利がある。主導権は本人にあるべきであって、 周囲にはない。
話しを聴いてあげたい、少しでも気持ちが楽になるようにしてあげたいと思う気持ちは人として自然な感情の動きだと思う し、もちろん、相手が語ったら静かに聴けばよいと思うが、安易な慰めやアドバイス、理由づけ、とくに、誰かと比較して何に比べればどうだとか、余計な相槌 は不要だと思う。そういうことを言いたくなるのは、だいたい、相手のためというよりも、自分の気持ちを落ち着かせたいためだ。相手の悲嘆を前にして、それ を黙って現実のものとして受け入れることができないがために、なんとか相手の悲嘆を打ち消そうとする。しかし、身近なものを亡くして悲嘆があるのは当然の ことだ。そして、それはどんな理屈をつけられたからといって解消されるようなものではない。
また、なにがあったのか、など、とくに子どもに素人が根掘り葉掘り訊くことは危ない行為だと思う。身近な人の死などの喪失体験の共有は、専門的な技術と経験、あるいは素人レベルならそれにふさわし い信頼関係があって、はじめてできうる。記憶に蓋をする権利も、当人にはある。無理やりこじ開けるべきではない。
「メンタリスト」とい う海外ドラマで、不眠症の主人公に、睡眠薬の処方を求められた精神科医が、眠れない理由となった記憶を語らせようとするシーンがある。実は、主人公は過去 に犯罪被害によって妻子を失っているのだが、それは語ろうとせず、つくり話の記憶を語る。なぜあなたの物語を語りたくないのだと訊く精神科医に、主人公が 答える。「それは、私のものだから。」
シェアをする行為は、あくまで本人がシェアをしたい場合にのみ成り立つ。誰かの、その人だけの物語を、無理やり奪ってはならない。
(2011年3月21日http://m-net.jugem.jp/に投稿分をこちらに移動しました。)
避難所や地域に、お身内を亡くされた方がいらっしゃったときに、どう接したらいいのかわからないというボランティアの方も多いのではないか。私ごときがいうことではないが、この非常時なので勘弁していただき、個人的に感じていることを率直に書こうと思う。
まず、グリーフワーク(死の悲嘆からの立ち直り作業)は本人しかできないので、求められるまで押しつけないでほしいということ。周囲の人間が、求められも しないのに手出し口出しをするべきことがらではなく、サポートが必要な場合は、本人がその時期と種類を選ぶ権利がある。主導権は本人にあるべきであって、 周囲にはない。
話しを聴いてあげたい、少しでも気持ちが楽になるようにしてあげたいと思う気持ちは人として自然な感情の動きだと思う し、もちろん、相手が語ったら静かに聴けばよいと思うが、安易な慰めやアドバイス、理由づけ、とくに、誰かと比較して何に比べればどうだとか、余計な相槌 は不要だと思う。そういうことを言いたくなるのは、だいたい、相手のためというよりも、自分の気持ちを落ち着かせたいためだ。相手の悲嘆を前にして、それ を黙って現実のものとして受け入れることができないがために、なんとか相手の悲嘆を打ち消そうとする。しかし、身近なものを亡くして悲嘆があるのは当然の ことだ。そして、それはどんな理屈をつけられたからといって解消されるようなものではない。
また、なにがあったのか、など、とくに子どもに素人が根掘り葉掘り訊くことは危ない行為だと思う。身近な人の死などの喪失体験の共有は、専門的な技術と経験、あるいは素人レベルならそれにふさわし い信頼関係があって、はじめてできうる。記憶に蓋をする権利も、当人にはある。無理やりこじ開けるべきではない。
「メンタリスト」とい う海外ドラマで、不眠症の主人公に、睡眠薬の処方を求められた精神科医が、眠れない理由となった記憶を語らせようとするシーンがある。実は、主人公は過去 に犯罪被害によって妻子を失っているのだが、それは語ろうとせず、つくり話の記憶を語る。なぜあなたの物語を語りたくないのだと訊く精神科医に、主人公が 答える。「それは、私のものだから。」
シェアをする行為は、あくまで本人がシェアをしたい場合にのみ成り立つ。誰かの、その人だけの物語を、無理やり奪ってはならない。
(2011年3月21日http://m-net.jugem.jp/に投稿分をこちらに移動しました。)
『神の慮り(おもんばかり)』 (詩の紹介です)
大きなことを成し遂げるために 力を与えてほしいと神に求めたのに 謙虚さを学ぶようにと、 弱さを授かった より偉大なことができるようにと、 健康をもとめたのに より良きことができるようにと、 病弱を与えられた 幸せになろうとして 富を求めたのに 賢明であるようにと 貧困を授かった 世の人々の賞讃を得ようとして 成功を求めたのに 得意にならないようにと 失敗を授かった 人生を楽しもうと たくさんのものを求めたのに むしろ人生を味わうようにと シンプルな生活を与えられた 求めたものは何一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられていた 私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されていたのだ ニューヨーク大学病院リハビリセンターのロビーに掲げられている、ある患者さんの詩 意訳 神渡良平氏 出典:http://warafuto.com/wrafuto16.html
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